【上杉謙信】日本のジャンヌダルク!実は女性であった説を紹介!

戦国時代
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戦国時代の武将は勇敢な男性のイメージですよね。

馬にまたがり先陣を切り駆け抜け、後に続く家臣たちを呼応し、敵軍に突き進む!

戦国の合戦とはこんなイメージ。

 

あれ?女性でも似合いそうな感じ。なくもない。もしかしたら有りなのかも。統率力のある女性っていますよね。

 

今回は先入観を脱ぎ捨ててみて下さい。

「もしかしたらそうなのかも?」と思うかもしれませんよ。

 

※歴史上のことなので諸説あります。

 

この記事のあらすじ

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上杉謙信(うえすぎけんしん)とはどんなお方?

1530年、戦国時代のど真ん中、越後国(えちごのくに(新潟県)で生まれた戦国武将。

「越後の虎」「越後の龍」「越後の獅子」「軍神」とまで称されたお方。雰囲気似たような感じの動物…。1コでよくない?

これを見るとやはり男性像が浮かんでしまいますね。「越後の柔」とかなら、あれ?どっち?とかにもなるんですが。

 

戦国のイメージ通り、戦いに明け暮れた人生を送ったお方でした。

20代前半の頃、戦ばかりの日々や家臣の裏切りで、心身ともに疲れ果て、出家して隠居してしまおうと考えちゃいます。

「お館様、止めて!」と引き戻されましたが…。

戦が嫌いな心優しいお方だったのかな。女性っぽいですね。

実は家臣の身を引き締めるための「人心掌握術」であったという説もあります。男性っぽいですね。

 

武田信玄(たけだしんげんさん、北条氏康(ほうじょううじやすさん、織田信長(おだのぶながさんら数々の武将たちと戦い続けます。

中でも、武田信玄さんとのライバル関係は有名ですね。

川中島(かわなかじまの戦い」では5度も同じ場所で戦っています。

 

49歳で亡くなりましたが、死ぬ間際まで戦いの準備をしていたといいます。

 

そして本題、今回の疑惑が浮上した理由は、謙信さんは「結婚」していなかったってことにあるんです。

 

 

 

なぜ結婚しなかったの?

戦国時代に限らず、武将たちは自らの家や領土を守るため、たくさんの女性たちと結婚していました。一夫多妻ってやつですね。

昔は医療も発達していませんので、子供たちが20歳まで成長するのも一苦労だったのです。

病気になれば拝んだりしてました。「悪霊退散!」的な。病気は霊の仕業なのです。

今なら「治るかい!」ってなりますが、当時は信じられてましたね。

子孫を残すためには子供をたくさんつくるしかなかったんです。確かに子孫繁栄とは本来そういう事ですからね。

 

しかし、謙信さんはそれをしなかったのです。養子をもらうだけで。

いくつかの理由はあります。

恋に落ちた女性がいたのに猛反対され、その後、女性は出家したのちに自害。

謙信さんはショックで病に伏せてしまいました。女性のような謙信さん。

 

母や姉がとても立派な女性たちで、それを見て育った謙信さんは、他の女性を見て幻滅してしまったという理由。なくもないような感じもしますが…。今風に言えばマザコン…。

 

これは男らしい理由です。

毘沙門天(びしゃもんてんなどの信仰である「妻禁制」を守り続けたというもの。硬派です。

 

男性好きだったというお話もあります。当時では普通ですからね。

もしも謙信さんが女性であればさらに普通になりますね。

 

 

上杉謙信が女性とされる理由!

日本の歴史小説家が、スペイン宣教師の日本に関する報告書の中から発見!

そこには「上杉の叔母」という文字!

どういう意味かと言うと、この「上杉」とは、謙信さんの養子・上杉景勝(うえすぎかげかつさんのことです。次の上杉家当主になったお方。

景勝さんは謙信さんの姉の子なので、「叔母」とは謙信さんのことです。他に姉妹はいなかったので、謙信さんしかいないのです。

小説家の方の訳し間違いであるともされているのですが、ちょっとこれは心揺さぶられますね。日本では暗黙の了解で誰も触れなかったのに、外国人さんが何気にぽろっと言っちゃった的な。

 

他にも、毎月1度決まった時期に腹痛を起こしていたらしいのです。お腹の弱い戦国武将もいたでしょう。人間だもの。

しかし、謙信さんは女性なのかも?と考えれば…

毎月1度決まった時期に腹痛があっても何もおかしい事はありません。違和感なしです。

腹痛が起こると戦いの最中でも部屋に籠り10日ほど出て来なかったのです。

 

まだまだ!
民衆で広まっている歌の中で「男もおよばぬ体力無双」って謙信さんのことを歌っています。断言しちゃってます。

 

さらには、謙信さんは紫式部(むらさきしきぶさんの「源氏物語(げんじものがたり」が愛読書だったそうなのです。この物語はべたべたの恋愛小説なんです。

そして歌会が催されれば、そこで詠む句はなんと恋歌。

 

 

 

最後に、謙信さんの死因についてです。

お酒がとても大好きなお方で、1人縁側に座り味噌や梅干しを肴に酒を飲んでいたと言われています。絵になります。

しかし、お酒や塩分の取り過ぎが原因の脳出血で厠で急に倒れてしまい、そのまま昏睡状態となり亡くなってしまいました。これが通説です。

 

他の説として、織田信長さんや謙信さんの家臣・直江兼続(なおえかねつぐさんに暗殺されたというものもあります。

詳しくはこちらの記事をどうぞ。

 

 

 

しかし、江戸時代に書かれた書には「謙信は婦人病で死去」としっかりと書かれているのです。

実際は「大虫」と書かれているだけなんですが。「大虫=婦人病」という意味だろうです。あくまで「だろう」なんですが。

 

 

まとめ

戦国武将・上杉謙信は実は女性だった?について紹介しました。

説得力のあるものばかりではなかったでしょうか。

 

もうこれは私の中で「上杉謙信さん=女性説」は確実なものと変わりつつあります。

 

「戦国の世を生きた!日本のジャンヌダルク上杉謙信!」

かっこよくないですか。

 

 

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