織田信長さんには成しえなかった天下統一を果たしてみせた豊臣秀吉さん。
百姓出身は超有名ですね。
「戦国一の出世頭」と呼ばれた豊臣秀吉さんが「サル」と呼ばれていた頃はどんなだったのでしょうか?
そして出世するためにどのような策をつかったのか?
それではまいりましょう。
※歴史上のことなので諸説あります。
サルと呼ばれる前は?
1536年と1537年のどちらかで誕生。なんと誕生日は1月1日だったとか?2月6日説もありますが。
1月1日ならなおのこと天下人っぽくないですか?
尾張国(愛知県)の村の百姓の子。さらにはもっと低い身分であったかもしれないという。
他にも説はあって、村長の息子や、大工や鍛冶職人や商人、木こりなんてのもあります。
7歳で父が亡くなってしまい、その後、お寺に入れられるがすぐに抜け出します。なんか既にサルっぽいですね。
母は再婚するんですが、新しい父と秀吉さんは仲がよくありませんでした。暴力も受けちゃったりしています。
そして15歳の時に家を出て、針売りなどをしながら遠江国(静岡県)方面へ放浪しています。
秀吉さんはこの頃は「木下藤吉郎」と名乗っておりました。
藤吉郎は今川氏の家臣・飯尾氏の配下・松下之綱に仕えます。
今川氏とは戦国大名・今川義元が有名ですね。織田信長と戦ったり、武田信玄や上杉謙信などと同等のお方です。すごい方。
藤吉郎は今川氏から見れば、家臣の家臣の家臣ってとこです。この頃は天下人なんて天と地です。月とすっぽんです。
藤吉郎、もとい秀吉さんが天下人になった後、この初めての上司・松下之綱さんは秀吉さんの家臣となりお城を与えられています。人生どうなるか分かりませんから、誰にでも優しくしておくものです。
藤吉郎さんは程なくして、松下之綱の家臣を辞めます。同僚からいじめをくらったとか、お金を盗んでしまったとか。秀吉さんにはそんなイメージがないんですがね。世渡り上手なイメージしか。
この後、織田信長さんと出会うこととなります。
サルと呼ばれていた頃
17歳頃、尾張国へ戻り、織田信長の小者として仕えます。一種の雑用係ですね。信長さんとは2,3歳差くらいです。
いきさつは、自ら志願した、友人の紹介、信長の側室からの紹介などがあります。
お城の「普請奉行」「台所奉行」などを率先してやり成果を上げ、信長さんに可愛がられます。お城の土木工事などですね。土木工事や台所の成果って…。
この頃に、有名な草履のやつをやってます。懐で草履を温めるやつです。世渡り上手をついに発揮します。ちなみにこれは絵本が題材なので本当にやったのかな?
24歳頃、おねと結婚します。藤吉郎さんはまだまだ足軽の隊長みたいなものだったので、おねさんのお母さんは反対しています。しかしおねさんはそれを振り切り結婚。結婚式は藁などを敷いただけのそれはそれは質素なものだったそうです。
28歳頃、名前がついに「木下藤吉郎秀吉」となり、信長さんの有力武将の一人に数えられるようになった表れです。着実に昇格中です。家臣もどんどん増えていきます。
そして数々の戦いで武功を上げています。
10日間で18個の城を落としたり、味方の裏切りで挟み撃ちとなる絶体絶命でもしんがりを務め功績を上げたりもしました。
そしてついに36歳頃、長浜城(滋賀県)の城主となりました。藁の上で結婚式を挙げたのが懐かしい。
名前も「羽柴秀吉」と変えます。信長さん家臣の丹羽長秀と柴田勝家からもらった説と、半端な薪売りという意味の「端柴売り出身」からの語呂合わせ説もあります。低い身分を逆にアピールして嫉妬を避けようとしたとか。
石田三成さんともこの頃に出会います。
秀吉さん亡き後、徳川家康さんと天下分け目・関ヶ原の戦いで戦ったお方。秀吉さんが生涯信頼していた家臣です。
そしてまだまだ秀吉さんの快進撃は止まりません。
サルが天下取りへ!
40歳頃、三本の矢で有名な毛利氏の勢力下であった中国地方攻略を命じられます。
この遠征でもどんどん勝ち進んで行ったのです。
このときに使っていた戦術は「三木の干殺し」「鳥取城の飢え殺し」「高松城の水攻め」などの兵糧攻め。敵の食量などを無くし降伏に追い込む戦い方。お金や時間はかかるが味方の戦力はかからない。頭の良い秀吉さんが得意とする戦い方。
そして、中国地方遠征中の45歳頃、その事件は起こります。
織田信長さんが家臣・明智光秀さんに裏切られ、京都の本能寺で亡くなってしまうのです。
全国で戦っていた信長さんの家臣たちは急いで京都へ向かいます。
信長さん亡き後、誰が天下を目指すのか?それともこのまま明智光秀さんが天下を治めるのか?
いち早く戻って来たのがそう、我らが秀吉さんです。
そして明智光秀さんを倒し、信長さんの家臣の中で力を持ち始め、そのまま天下人へとのし上がって行くのです。
まとめ
百姓出身の秀吉さんは類まれない人柄で、上司に気に入られ、優秀な部下を持ったことにより天下を手に入れられたのだと思います。
信長さんが「サル!」と呼び始めたような感じですが、実はお父さんや一番初めの上司・松下之綱さんにも呼ばれていたようですよ。
外国人にも「サルのようだ」と言われていますし、自らも「醜い顔」と言っています。ちょっと切ない。
自分でも人柄で勝負していくしかないと思っていたのでしょうか?
一番凄いのは妻・おねさんの人を見る目ですね。
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