【トーマス・エジソン】世界の発明王!1%のひらめきと99%の努力!

アメリカ
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今回は世界の発明王トーマス・エジソンさんについて紹介していきます。

1300もの発明品を作ったと言われ、1日30分睡眠は有名な話です。

仮眠は数回取っていたようですが、合わせても3時間ほどだったようです。成功者は寝ないのが基本なんですかね。

しかも84歳まで生きるという長寿です。糖尿病ではあったらしい…。運動しましょう。

 

それではエジソンさんについて分かり易く紹介していきます。

 

※歴史上のことなので諸説あります。

 

この記事のあらすじ

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エジソンさんは小学校中退?

子供時代の興味

1847年にアメリカのオハイオ州(右上の方です)で、7人兄弟の末っ子として誕生。

ちなみに日本は1868年から明治時代です。

 

小学生時代のエジソンさんは異常なまでの知りたがり。

「Why?」が口癖で、よく先生を困らせていました。

例えば粘土を使った足し算の授業の時、「1個の粘土と1個の粘土を足してもそれは大きな1個の粘土でしょ?」「2」という答えに疑問を持っていました。

「なぜ物は燃えるのか?」を知るために、自宅で藁を燃やし納屋を全焼させてしまった。

ガチョウの卵を自力で孵化させるためにガチョウ小屋に何時間も座り込んでいた。

このような事が重なり、父からも先生からも見放され、小学校を3カ月で退学してしまいます。

 

その後は、元教師であった母から学ぶことになります。

エジソンさんは、「母がいなければ発明家になれていなかった」と語っています。

 

最初の発明!

17歳の頃、カナダで“1時間おきに電信を送るだけ”という夜間電信係りの退屈な仕事をしていました。

あまりにも退屈過ぎたので、時計を使って自動で電信を送る機械を発明します。自分が楽をする機械を作ったんですね。

その発明は素晴らしかったのですが、電信が正確な時間に届くようになりあまりにも不自然だということで、上司が確認しに来たらエジソンさんは仕事をせずに寝ちゃってましたね。

そのままクビになりました。頭の良い人は単純なことには結構気づかないものなんですよね。

 

 

そして発明王へ!

21歳の頃、エジソンさんは「特許」を取得する発明をしました。

それは、議会での賛成・反対票を簡単に集計する時間短縮機械でした。

しかし、この発明品は少数派の時間稼ぎ戦術である「牛歩戦術が出来なくなる」として全く実用されませんでした。

エジソンさんはこのことがきっかけで、素晴らしい発明でも皆が喜んでくれなければ意味がないのだと気づかされます。

ちなみに「牛歩戦術」とは、少数派の人たちが投票箱まで文字通り牛のようにゆっくり歩いて時間を稼ぐという戦術。投票時間が過ぎれば票は無効となるし、トイレ等で部屋を出ても無効になるため。

対応策として、オムツを穿いてくる政治家が増えたとか。賢いのか?賢くないのか?

 

翌年の22歳の時に発明した「株式相場表示機」が運命を変えます。

「特許権」を売ってほしいという要望があり、エジソンさん5000ドルで売れればいいと思っていました。

しかし、それはなん4万ドルで売れてしまいます。現在の2億円相当。20代前半で2億円です。

 

29歳の頃、ニュージャージー州(オハイオ州のもっと右です)にメンロパーク研究室を設立。

 

エジソンさんは100以上の特許を取った発明品があるのです。

 

 

エジソンさんの有名な発明品


エジソンさんが発明王と呼ばれている所以は、人々の生活が一変するような発明品を残したことにあります。

しかし、エジソンさんの発明品は、0からではなく改良品が多いのですが。

 

①蓄音機。いわゆる録音・再生装置です。

録音のみの発明品は20年前に別の人が作っていましたが、それに再生装置や音質改良を加え、30歳の時に改良しました。

蓄音機の一般公開で、ある牧師が「人が入っているんだ!」と疑い、聖書を早口で録音しました。同じスピードで繰り返す蓄音機を見て、「私と同じように話せる者はいない」と本物と認めたといいます。

 

➁電球。これも発明はスワンさんで、エジソンさんは改良です。

フィラメント(電球の光る部分)には京都の竹を使っていました。

エジソンさんのエピソードで、「1万回も失敗しているのだから止めたら?」と指摘されると、「失敗していない。1万回やってもこのやり方ではうまくいかないという事を発見した」と返したのです。こういうセリフを言ってみたいものです。

 

③映画の発明。

エジソンさんが最初に発明したのは、1分くらいの映像を流す機械を1人りずつ覗き込んで見るというものでした。

その後、リュミエール兄弟が現在のようなスクリーン映画を発明。

そしてエジソンさんもスクリーン用の映写機を発明しました。

エジソンさん、リュミエール兄弟は「映画の父」と呼ばれるようになります。

 

 

エジソンさんの2つの戦い!

電話機の戦い!

エジソンさんは電話機の特許を申請しますが、不備が見つかり「不受理」となります。

その1カ月後、グラハム・ベルが特許を受理され「電話の父」となりました。

その2時間後にイライジャ・グレイも電話機の申請に来ましたがわずかに間に合いませんでした。

グレイはその後、ファクシミリを発明し「ファックスの父」となります。父多い。

 

「電話の父」ベルさんと、「電話の父」になれなかったエジソンさんはその後、電話の開発や特許侵害訴訟などで戦うことになります。成功者は負けず嫌いなのです。

 

直流と交流の戦い!

「直流と交流って何?」ってなると思いますが、電気の流れ方の違いってことだけお伝えしまして本題に入ります。みんなで理科を勉強しよう!

 

エジソンさんの部下に二コラ・テラスという天才科学者が働いていました。

テラスさんは8カ国語を話し、音楽、哲学にも長け、1日4時間睡眠でOKという最強男でした。

エジソンさんもテラスの才能を認めていたのですが、2人の考え方は全く合わなかったのです。

直流押しのエジソンさんが「この直流でしか動かない機械を、お前の交流で動かしてみろ!出来たら5万ドルやるよ!」と言います。

しかし、交流押しのテラスさんは難なくそれをやってのけちゃいました。

直流エジソンは「アメリカンジョークさ!」と5万ドルはなかったことにしてしまいました。

ここから直流エジソンと交流テラスはバチバチになります。

2人は別れ、それぞれの会社を立ち上げましたが争は続きます。

直流エジソンは「交流は健康に悪い」と言いふらして周れば、交流テラスは交流が流れる部屋で読書をしてそれを払拭していきます。水掛け論争の子供の喧嘩のようですね。天才は無邪気なんです。

 

 

晩年のエジソンさん

エジソンさんは、電気自動車の開発に取り組んでいましたが、今の時代の技術ではまだ実現出来ないと手を引いています。

その後、エジソンさんの会社の元社員ヘンリー・フォードさんがガソリン自動車で「自動車王」となります。2人は生涯の友人であります。

 

エジソンさんの晩年は「オカルト研究」に没頭しています。

来世を信じるようになり、死んだ者と交信するための装置を研究していた。まだまだやりたいことがあり生き足りないという思いを持っていたのでしょうか。

「人間の魂はエネルギーであり宇宙エネルギーの一部だから、記憶もエネルギーであり死後にもそのエネルギーは存在しているはずだ。」

と話しています。もう凡人には分かりません。エネルギーがまず分かりません。

 

そして、84歳で発明王は生涯を終えました。

 

 

まとめ

エジソンさんは、やはり想像以上の天才エピソードを持っていました。

好きなことに没頭する集中力と自分の考えを信じぬく気持ちが「天才」を生み出す力なんですかね。

掌にモールス信号を打ってプロポーズをしたというシャイでお洒落な一面もお持ちです。

 

それでは集中力がやばいエピソードをもう一つ。

考え事をしていたエジソンさんに妻が話しかけると、

「君は誰だっけ?」

 

天才にはどうやったらなれるのでしょう?

 

 

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