【千円札の歴史】180万円の価値がある?古事記と日本書紀の違いも紹介!

飛鳥時代
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「2024年に新紙幣が発行されます!」

という発表に伴い、一万円札と五千円札の肖像画に抜擢されてきた偉人たちを紹介してきました。

聖徳太子(しょうとくたいしさんはどちらにも選ばれていましたね。

 

今回は、誰もが1枚以上はお財布に入っているであろう、お札の中の皆勤賞、「千円札」の偉人たちを紹介していきたいと思います。

今回も聖徳太子さんはいるのでしょうか?

 

※歴史上のことなので諸説あります。

 

この記事のあらすじ

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初代千円札は180万円の価値がある!?

1945年8月17日、日本が第二次世界大戦の敗戦からわずか2日後に発行開始された紙幣。当時の最高額紙幣です。

しかし、発行から1年と経たない1946年3月2日に停止されてしまいます。

理由としては、敗戦による物資不足に伴う物価の高騰で起こったインフレーション対策に対し、政府が発表した新円切替(しんえんきりかえによるものでした。

国民は現金確保のため預金の引き出しが集中、政府はそれを制限するために新円に切り替え、旧紙幣は無効化していくという処置でした。旧紙幣を持っていても預金していなければただの紙切れということですね。さらに新紙幣の引き出しには上限も設けられてあったのです。

 

1年と経たずして発行停止された初代千円札ですが、「新円切替」の際に新紙幣は発行されず、2代目が発行されたのはその4年後でした。

発行枚数がとても少なくほとんどが回収されてしまったため、現在、価値に換算すると「約180万円」ほどの額に相当するそうです。

 

「日本武尊」と書いて「ヤマトタケル」!

初代千円札の肖像画はヤマトタケルさんですが、この名前を知っている人は多いはずです。ゲームなどのキャラクターでよく登場しますよね。

実際のところどのようなお方なのか紹介していきます。かなり昔のお方であるというのは名前からでも分かりますね。

 

ヤマトタケルとはどんな方?

第12代・景行(けいこう天皇の第二皇子として誕生。双子の兄がいます。

記録によれば、この頃の天皇の年齢は100歳越えがほとんど、景行天皇も実在していたお方であったならば106歳まで生きた4世紀前半の頃の天皇ということになります。

タケルさんの弟に第13代天皇が、子供に第14代天皇がいます。

 

『古事記』『日本書紀』の記録では、大まかな話は同じなのですが、タケルさんの性格や父との関係などに違いがあります。例えば、『古事記』では父から疎まれている存在なのに対し、『日本書紀』では信頼が厚いといった真逆の評価なのです。

 

「古事記」と「日本書紀」では違う解釈!

そもそもこの2つの歴史書の違いはというと、

編纂(へんさんを命じたのは2書とも第40代・天武(てんむ天皇です。「大化の改新」で有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ(後の第38代・天智(てんち天皇)の弟です。

大化の改新で敗れた蘇我氏は邸宅に火をかけ自害した際に、数多くの歴史書を保管していた書庫までもが炎上してしまいます。

これらに代わる物をという事で編纂させたことがきっかけなんです。

 

 

 

『古事記』は、天皇という存在を神格化するために日本国内に向けて書かれた物。全3巻で物語風で書かれているのが特徴的なのです。

天武天皇が亡くなったことに一時は中断されましたが、30年後に再開され、わずか4ヶ月で完成されています。

 

『日本書紀』は、日本の歴史を国外に向けて書かれた物。

全30巻にもなり、『古事記』はたった2人で書かれていますが、『日本書紀』は12人もの大人数で39年の歳月がかかっているのです。

一時中断されていた古事記の完成から、8年後の720年に完成しました。

 

九州征伐!

タケルさんは父から九州南部で勢力を持ち、ヤマト王権に抵抗していたクマソタケル兄弟の討伐を命じます。

『古事記』ではその経緯として、双子の兄が父の寵妃(ちょうひを奪ったことに対し、父は「兄を諭せ!」という命令であったにも関わらず、タケルさんは兄を無残にも殺してしまいます。

この事から、父から恐れられてしまったタケルさんは、僅かな従者も与えられず九州征伐を命じられてしまうのです。

『日本書紀』では、兄殺しの話は一切なく、九州の反乱をわずか16歳のタケルさんに期待を込めて命じています。もちろん従者も与えられ。

 

九州討伐の結末は、宴の席で女装に扮したタケルさんはクマソタケル兄弟を見事に打倒します。

この時に「この地に我ら2人より強い者はいない。しかし、大倭国には我らより強い男がいた!」と称され、「ヤマトタケル」の名を譲られたのです。実は小碓尊(おうすのみことが本名でした。

『日本書紀』では、敵の首長が1人であるという違いはありますがそれ以外はほぼ同じです。

 

東征!実は兄は生きていた!?

九州からの帰路でも、西国各地の反乱を平定し見事に凱旋します。『日本書紀』では父の賞賛と寵愛を受けますが、『古事記』では一切それはありません。

 

『古事記』で、タケルさんに殺されていた双子の兄ですが、『日本書紀』では存命であり、東征の将軍に選ばれ平定を任されていました。しかし、兄はその大命に怖気づいて逃げ出してしまいます。

「お前を見ると、身丈は高く、顔は整い、力があり、向かうところ敵なし。我が子ではあるが本当は神である。この世はお前の天下だ!」

と、兄の変わりに東征に立候補したタケルさんに、父は最大の賛辞と皇位継承の約束を与えました。

期待を集めて出発したそれとは対照的に、『古事記』では、九州からの凱旋よりすぐに東征を命じられ、

「父は自分に死ねと思っておられるのか…」

と、涙にくれて旅立つことになります。

 

その後、東国を平定したタケルさんは尾張(現・愛知県)に入り、伊吹山(岐阜と滋賀の境)の悪神退治へと出かけます。

道中で、白い大猪(日本書紀では大蛇)が道を塞ぎますが、実はそれは神そのものの化身であり、タケルさんはそれに気付かず侮る言動をしてしまったために報いを受け病の身となってしまったのです。

そして、大和への凱旋叶わず享年30歳で亡くなってしまうのです。

 

同じ時代に同じ人が編纂を命じたにも関わらず、2つの書の内容がここまで変わってしまうものなのでしょうか。

同時期だからこそ互いをライバル視し、より面白くを目指してしまったのかも。歴史書なので面白くはいらないのですが。

 

 

紙幣登場の皆勤賞!聖徳太子!

1950年1月7日に発行開始。

戦後のインフレーション対策による「新円切替」の際には新しく千円札が発行されませんでした。ヤマトタケルさんの千円札より4年の間が空いての発行となります。

現在でも利用されているアルファベットと数字による「記番号」の利用が採用された初めての紙幣でもあります。

 

1957年に発行開始された五千円札、その翌年に開始された一万円札も聖徳太子さんでありますし、これ以前であれば、1930年から1956年までの百円札にもお札の顔として聖徳太子さんが君臨していたのです。

「お札と言えば聖徳太子」という時代であったのです。

 

 

聖徳太子さんについての紹介は簡単にしてしまいましたが、詳しくはこちらの記事と

 

 

 

こちらの記事からもどうぞ!

 

 

 

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