「参勤交代」という言葉は誰もが聞いたことがあるかと思います。
最近ではそれを題材にした映画もありますし、ちょっとしたブームなんじゃないでしょうか。
実際、参勤交代は興味深い制度です。
250年以上続いた江戸時代の平和にも一役かっていましたし、大名行列は民衆にとっても大変人気だったのです。
しかし、当の各地の大名たちの苦労は半端ありません。半年間かけて準備し、かなりのお金を使わなければならなかったからです。
それではもっと詳しく「参勤交代」について紹介していきましょう。
※歴史上のことなので諸説あります。
参勤交代の歴史
1192年の「良い国つくろう鎌倉幕府」時代からその原型はあり、将軍に対する家来たちの礼儀のようなものでした。
鎌倉時代では鎌倉に、室町時代では京都や鎌倉に集まるような制度もあった。
戦国時代では、各地の大名たちが家来を自身の城の城下町に住まわせていましたし、天下統一を果たした豊臣秀吉も大阪に大名たちを集め住まわせます。
大阪に呼んでも上洛しない大名は敵とみなされてしまうのです。一種の人質のようなものですね。
江戸幕府を開いた徳川家康も秀吉さんにならい江戸に住まわせています。
将軍に対する礼儀が含まれているので圧力的なものもあったでしょうが、最初はまだ自発的なものだったんです。
「私たちは徳川家に忠義を尽くしますよ!」というアピールでした。
そして、徳川3代将軍・徳川家光の時代に「参勤交代」という制度が作られ、義務へと変わったのです。
参勤交代とはどういったもの?
この制度は、各地の大名たちは1年おきに江戸と自国を行き来し、住まなければなりません。
さらに大名の正室と後継ぎになる子はずっと江戸に住み続けることになります。
この1年毎というのが想像以上に大変!
当たり前なんですが、当時は電車も車ももちろん新幹線も無く、皆徒歩で江戸へ向かいます。考えただけでもうすでに休憩したいです。
移動が一番大変なのになんとこの制度、旅費、滞在費、もろもろ全て各大名のみなさんが負担しなければならなかったのです。
お金が出るなら「まあ行くかー。」となると思いますが、自腹となると足取りもかなり重くなりましたでしょうね。
「この時期がきたかー。めんどくせー。」と。
しかし、そこが江戸幕府の狙い目!
各国でお金を大量に使わせ軍事力を下げて謀反を防ぐ効果と、同時に人質も取れる形になっていたのです。
よくできた制度ですね。こんな面倒な制度でやる気を削がれた状態で幕府に刃向かおうとは考えないですよね。
それもあってか250年以上も江戸時代は平和でした。
実際は、将軍と大名たちとの主従関係の礼儀のための制度であったとされていて、軍事力を下げる目的はたまたまそうなったという説もあります。棚からぼた餅的なやつですね。
「参勤」は「参って目上の人に覲える」という意味。「覲」を「勤」と役人が間違えて、それ以降この字に。これ本当なのかな?
「交代」は江戸から自国へ帰ることです。
「参」は「3」ではないですよ。3年おきだったらさぞ楽だったことでしょう。
どれほど大変だったのか?
お金のかかり方が半端ではなかったのです。
例えば、100万石の加賀藩(石川県)は、480kmの距離を2週間かけて2000~4000人で大移動。かかった費用は5000両。
今にすると4億円以上です!これが1年に1度…。
一番遠い薩摩藩(鹿児島県)は2カ月以上もかけて江戸へやって来るのです。その距離1700km!
幕府もあまりお金を使わせて藩が財政難になられても困るので、「身分相応の人数で来てねー。」って御触れを出すのですが、そこは各藩ともプライドが許しませんね。
やはり民衆も期待をしちゃってますから、お金をかけ華やかにしてしまうのでしょう。
特に自国領内と江戸領内での気合いの入れようは違いました。
威厳を保ちたいのでしょう。わざわざ華やかな着物に着替えたり、行列の人数を増やすために人を雇ったりしていたのです。いわゆるエキストラですよね。
そして自国を離れたらお役御免で、人数も半分くらいに減り、服装も動きやすいものに着替えいざ駆け足で江戸へ向かいます。
そこが経費削減する個所で、1日でも早く着いた方がもちろん安くすませられるからです。
1日30~40kmも移動する本当に大変な一大イベントだったのです。
大名行列が通る時は、民衆は土下座をして通る人の顔を見てはいけない的なイメージがありますが、徳川御三家以外の行列のときは端に避けるだけで良かったのです。徳川御三家とは、徳川家康の9男、10男、11男の家系。
そのためか、見物人も多く民衆は楽しみにして、大名たちもそれに似合った大名行列にしようとしていたのでしょう。お祭りのようなパレード状態ですね。
しかし、横切ることは無礼な行為でタブーとされており、それをしてしまった者には「切捨御免」も認められていました。これはちょっと恐ろしい。
参勤交代によっての経済効果は絶大!?
何週間もの大移動、そして何百、何千という人数が各宿場町で宿をとるわけですから、それはそれは宿の経営者は儲かりますよね。
しかし天候などで予定通りのスケジュールでいかないときも多々あります。なんてったって徒歩なんですから。
宿の急遽キャンセルなどでトラブルは絶えなかったといいます。2~3人のキャンセルではないですからね。何千人ですから!1日の宿代何百万だったらしいですから!
各藩も歩き易いように川に橋を架けたり、街道を整備したりとどんどん宿場町は発展していきます。
しかも皆が江戸と自国を行ったり来たりするわけですから、江戸文化が日本各地に広がる良い効果となったのです。
江戸は当時、女性よりも男性が極端に多かったのは参勤交代の影響だと言われています。
参勤交代での単身赴任者がとても多く、そのため遊郭も繁栄していったのです。平和ですね。
参勤交代の終わり
1853年、あの有名な黒船に乗ったペリーさんが日本にやって来ました。
幕府も、たくさんのお金を使わせて大名行列させてる場合じゃないと、期間も3年に1度にし、江戸に住まわせていた大名たちの妻子も自国に帰らせました。
しかしこれが江戸幕府にとって大失態!
このことによって各藩がどんどん力を持つようになり、幕府の権力も弱まっていきます。
参勤交代を以前の制度に戻そうとするのですが、時すでに遅し!
誰も従おうとせず、ついに幕府は無くなり、明治時代がやってくることになったのです。
そして「参勤交代」の制度も完全に廃止となりました。
まとめ
大名たちにとってはとてもとても迷惑な制度ですが、平和な世、経済効果を考えればとても素晴らしい制度だったのではないでしょうか。
実際、制定してから200年以上も平和な世が続き、そして制度を緩和した途端、幕府は弱体化してしまったのですから。まあペリー来航という問題もあったのですが。
見栄とプライドを良い具合に突っついた、巧みな制度でしたね。
そこまで考えてないとも言われてますが、成功例とは「蓋を開けたらそこに棚から落ちたぼた餅が入ってた」みたいなもんなんですよ。実際は…。
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