【西郷隆盛・大久保利通】薩摩藩2大リーダーの親友時代から対立まで!

江戸時代
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2018年大河ドラマ西郷(せごどん」では、鈴木亮平さん演じる西郷隆盛(さいごうたかもりさんと、瑛太さん演じる大久保利通(おおくぼとしみちさんが隣通しに住む幼馴染で、共に幕末の世を生きていく様が描かれていますね。

 

後に2人は、薩摩藩のリーダーとして江戸幕府に終止符を打ち、新政府を立ち上げることとなります。

西郷さんと大久保さんは明治維新の功績を称えられた3人「維新の三傑」に名を連ねていますね。

あとの一人は、薩摩藩とライバル関係であった長州藩のリーダー・木戸孝允(きどたかよし(桂小五郎(かつらこごろう)さんです。

 

しかし、この2人には悲劇の結末が訪れてしまうのです。

2人は新政府内で考え方の違いで対立、西郷さんは辞職し薩摩へと帰郷してしまいます。

そして、西郷さんは士族の反乱「西南戦争」に参加、間接的にも幼い頃からの親友であった2人は争う事となります。

 

※歴史上のことなので諸説あります。

 

この記事のあらすじ

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西郷隆盛と大久保利通の関係は?

薩摩国(現・鹿児島)で下級藩士の子として、1828年に西郷隆盛さん、1830年に大久保利通さんが誕生しました。

2人とも同じ身分で下から2番目の家格でした。

 

2人は藩校で共に学問を学んだ親友という関係で、その他にも明治維新で活躍した者たちはこの頃に出会った同士たちなのです。

 

西郷隆盛と島津斉彬

西郷さんは、薩摩藩主・島津斉彬(しまづなりあきらさんの参勤交代に付き従い江戸へ行きます。

斉彬さんは、次の徳川14代将軍を巡る「将軍継嗣(けいし問題」で彦根藩主・井伊直弼(いいなおすけさんと対立しており、西郷さんはその下で活動しています。

しかし、直弼さんは大老に就任すると、アメリカとの「日米修好通商条約」の調印を決め、さらには斉彬さんとの将軍継嗣問題にも勝利します。

その直後、斉彬さんは突然に急死してしまうのです

 

直弼さんは、対立していた者や幕府に対して不満を持つ者を処罰していきます。有名な「安政の大獄」ですね。

西郷さんにもその手が伸び、前途を悲観した西郷さんは入水自殺を図ってしまいます

運良く助けられた西郷さんを藩はそのまま死んだものと扱い、奄美大島へと潜居させ幕府の目から隠したのです。

 

 

 

大久保利通と島津久光

亡くなった島津斉彬さんに変わり藩主の座に就いたのは、斉彬さんの異母弟・島津久光(しまづひさみつさんの子・茂久(しげひささんです。

茂久さんは平成の天皇の曽祖父なんですよ。なにか身近に感じますね。

藩主の座に就いた茂久さんでしたが、まだ10代の若さということもあり、祖父・島津斉興(なりおきさん、次いで父・久光さん、後には西郷さんや大久保さんが藩の実権を握っていったため、先頭に立つようなお方ではなかったようです。

 

 

 

大久保さんは、一浪士が脱藩をして事を成すより、藩という大きな物の後ろ盾を得ていた方が行動を起こしやすいと考え、久光さんに近づくようになります

しかし、身分の低かった大久保さんがそう簡単に藩主の父になんて会えるはずもありません。

そこで大久保さんが取った行動は、久光さんが囲碁好きであると知ると、久光さんと同じ囲碁師範より手ほどきを受け始め、どことなく自分の名を久光さんに届くように仕向けたのです。

さらには、久光さんが探していた書物を見つけ出しては献上していました。

 

ある時、大久保さんや西郷さんら同士たちで結成した精忠組(せいちゅうぐみと水戸藩の浪士たちで、大老・井伊直弼さんを暗殺して京へ出兵しようという計画が立てられます

しかし、久光さんは「まだ実行の時ではない!」とこれを抑制、その後、血気盛んな精忠組の面々を自らの側に登用するようになります。

薩摩藩がこの計画に参加出来ず、水戸藩のみで行った事件があの「桜田門外の変」です。薩摩藩士は1名のみがこの事件に関わっています。

 

西郷さんは精忠組の中心人物でありましたが、大久保さんが奄美大島から連れ戻しても、久光さんとの反りが合わず再度遠島処分とされてしまうのです。

「あなたには斉彬様ほどの人望はない。ただの田舎者にすぎない!」

なんて事を言ってしまうのです。さすがにこれには怒りますよね。

 

大久保さんはというと、久光さんの下で着々と出世していきました。

久光さんから「一蔵(いちぞう」という名も賜ります。元々は「大久保正助(しょうすけ」さんです。

3年ほど後に、「利通」と諱を変えます。

 

 

 

明治政府内での対立!

西郷さんは、薩摩藩の外国との密貿易による世論の悪評や人材不足などを理由に、大久保さんらの勧めで再度、遠島処分から連れ戻されます。

そして、倒幕へと進みだした薩摩藩は、土佐藩との薩土盟約(さつどめいやくや犬猿の仲であった長州藩との薩長同盟(さっちょうどうめいを成功させます。

 

徳川最後の将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶさんが大政奉還(たいせいほうかんを行い政権を朝廷に返すと、「王政復古の大号令」により新政府が樹立、そして戊辰(ぼしん戦争」で新政府軍は旧幕府軍に勝利したのです。

 

官僚600人が辞職した「明治6年政変」!

江戸幕府が無くなり新政府が誕生しても、各地では大名が治める藩の存在が問題とされていました。日本中に国がいくつもあるという状態ですね。

そこで明治2年、土地と人民は明治政府が所轄するという版籍奉還(はんせきほうかんが実施。

さらに明治4年廃藩置県(はいはんちけんも実施されました。

 

 

 

時を同じくして、ある1人の薩摩藩士が時勢を非難する書を明治政府集議院門に投じ、その直後に切腹してしまう事件が起こります

この事に衝撃を受けた西郷さんは、新政府から心が離れてしまい薩摩人を明治政府より切り離そうと考えていたといいます。

 

明治4年、大久保さんは岩倉具視(いわくらともみ使節団の副使として2年ほどの間、世界各国を訪問します。

明治政府首脳部が留守の間、留守政府(るすせいふとして、西郷さんらが組織を任されていました。

明治初期より問題とされてきた朝鮮との条約締結を、武力を持って成そうとする征韓論(せいかんろんがあり、これに反対していた西郷さんは、自ら朝鮮へ赴くと主張します。

外遊から戻ってきた大久保さんらは西郷さんの派遣に反発を見せます。

朝鮮と開戦してしまう恐れがあることや、他に片ずけて置かなければならない問題があるためでした。

西郷さんの朝鮮派遣は延期という処置になり、納得のいかなかった西郷さんは辞職してしまうのです。

これに続き、西郷さんに同調する政治家や軍人などおよそ600人が次々と辞職していったのでした。

 

 

西郷隆盛と大久保利通の死!

西南戦争勃発!

明治政府を辞職した西郷さんは、薩摩へ帰郷するとしばらくは自宅で過ごしたり温泉地で休養したりしていました。

 

そんな中、明治政府に対する士族の反乱が佐賀で起こります。西郷さんと共に辞職した江藤新平(えとうしんぺいさんがリーダーでした。

元武士たちは、明治政府の徴兵令(ちょうへいれい廃刀令(はいとうれいにより不満が溜まっていたのです。

西郷さんも、そんな士族らを放置してしまうと暴動が起きてしまうということで、鹿児島で私学校を開きます。

やがてこの私学校は、優秀な大勢力へと成長していってしまうのです。統率するつもりが逆に勢いづいちゃったという感じ。

 

明治9年、熊本、福岡、山口で相次いで反乱が起き、鹿児島でも、政府と私学校との武器弾薬のいざこざ、「視察」「西郷を刺殺せよ!」という聞き間違いから起こった西郷さん暗殺計画が浮かび上がり、勢いは止まらなくなっていました。

西郷さんは「大久保はおいを殺そうとした…」と思ってしまったとか。

 

そして明治10年、西郷さんをリーダーとして「西南戦争」が開戦してしまったのです。

大久保さんは京都にて政府軍を指揮しています。間接的ではありますが悲しくも西郷vs大久保の親友同士の戦いでありました。

やがて、西郷さんは敗戦を悟り、鹿児島の城山にて自刃して亡くなったのです。享年49歳。

 

大久保さんは、西郷さんの死を手紙で知らされ、柱に何度も頭をぶつけ悔し涙を流したといいます。

 

紀尾井坂にて大久保利通暗殺!

明治11年5月午前8時半、明治天皇に謁見(えっけんするために自邸を2頭立ての馬車で出発していた大久保さんは、紀尾井坂付近に差し掛かると、突如、暗殺犯6名が襲撃してきました

馬車から引きずり出された大久保さんは「無礼者!」と叫びましたが、斬殺されてしまったのです。全身に16箇所の傷を受けていました。享年47歳。

 

実行犯は、石川県と島根県の士族6名で、「明治6年政変」での西郷さん失脚に憤怒した者や、身内に鹿児島の私学校へ留学している者らで、士族反乱に呼応していた面々でした。

この暗殺計画は、警察トップの耳に入っていたものの、「石川県人何が出来るか!」と相手にしていなかったといいます。

 

大久保さん殺害理由に、「公金を私財の肥やしにしている」というのがありますが、実際は潔白な政治家であり逆に公共事業を私財で行うという人物でした。死後には借金が残っていたほどなんです。

 

大久保さんは、生前の西郷さんから送られた手紙を持ち歩いており、暗殺時も2通懐に入れていました。

2人の関係性が想像出来ますね。

会話をしなくても相手のことが分かる間柄だったんです。

 

 

 

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