歴史が大好きなみなさんはもちろん、歴史があまり興味のないみなさんでも一度は聞いたことがあるであろう「ペリー」と「黒船」。
「開国しろー!」って、ちょんまげ日本人に対して、大男のアメリカ人が黒船をバックにして言ったやつですね。
現代の感覚で言えば、いきなり“UFOが飛来してきて、宇宙人がじゃーん!!”って感じなのだそうです。「恐怖」と「好奇心」の間っていう感じでしょうか。
それでは今回は、黒船と一緒に登場し日本に対し開国をせまった、マシュー・ペリーさんについて紹介していきます。
※歴史上のことなので諸説あります。
ペリーさんは蒸気船海軍の父!
1794年、ロードアイランド州(北アメリカ大陸北東の端の方)で三男として生まれます。
14歳で海軍入りを果たし、18歳には長男ペリー、次男ペリーと一緒に「米英戦争」に参加しました。
40歳頃には、造船所所長に就任し、蒸気船を建造、海軍大佐にまで上りつめます。
蒸気船での海軍強化、教育に力を入れ、「蒸気船海軍の父」と称えられております。海軍教育の先駆者なのです。
アメリカ人は「~の父」が本当に好きみたい。発明王エジソンも「映画の父」なんて呼ばれていますしね。
そして日本へ!
1853年の59歳頃、ペリーさんを乗せた黒船はついに日本の浦賀(神奈川県)に登場しました。
身長195cmほどの大男、“熊おやじ”などというあだ名が付くほどの大声の持ち主が登場したのです。
ペリーさんは、日本人に大きな蒸気船を間近に見せ、近代国家の軍事力を見せつけた方がその恐怖心で交渉を有利に進められるのではという考えでした。
そして、オランダが邪魔をしてくる可能性があるため長崎は避け浦賀に上陸したのです。
この時は、「開国シナサーイ!」と言っただけで一度帰っています。
約半年後の1854年、再度日本に上陸し「日米和親条約」を結んだのです。
しかしこの条約はそこまで大変なものではなく、鎖国をしていた日本に「下田(静岡県)と函館を開港せよ!」というのが主な内容でした。
理由としては、アメリカは清(中国)や東アジアとの貿易のために太平洋の航路を必要としていました。しかし、当時の蒸気船では十分な燃料を積めなかったため、その途中にある日本の港が必要だったのです。
日本にしてみればこの出来事は、この時より「幕末」が始まり、江戸から明治へと変わっていく一大事件でした。しかし、アメリカ側からしてみればただの“燃料補給場所が欲しかっただけの通り道”だったのです。うーん。
そして4年後、再度アメリカからやって来たハリスさんと結んだ「日米修好通商条約」が日本にとってとっても不利な条約となるのです。
今回はペリーさんのお話なので「日米修好通商条約」は割愛します。
歴史のテストで、この「日米和親条約」と「日米修好通商条約」には悩まされましたね。「しゅうこうしゅうこう条約」なんて言ってました。
沖縄にも黒船来航!?
ペリーさんが浦賀に来る途中、琉球王国(沖縄県)に立ち寄り、同じように開港を求めています。
日本が「日米和親条約」を結んだように、「琉米修好条約」を結びました。同じく自由貿易がおもな内容です。
琉球王国とは、独自の王国を450年間も築いてきた小国。
豊臣秀吉さんの時代には薩摩藩(鹿児島県)から攻められたりもしています。
明治以降、琉球王国は日本からの「国名を琉球藩(沖縄県)にしろ!」という命令を拒否し続けていましたが、日本の武力行使によって従うようになります。
清の力を借りようともしていたのですが、日清戦争で日本が勝利してからは琉球王国の領土も日本のものとなったのです。
晩年のペリーさん
ペリーさんは日本で、4分の1の大きさの蒸気機関車の模型を走らせて見せたり、電線を1kmほど引き、電信機の実演などもしています。一瞬で言葉が送られる機械に日本の人々は驚かされたのでした。
そんなペリーさんですが、日本との条約を成したわずか4年後の1858年、ニューヨークで死去したのです。63歳でした。
もしペリーが開国を要求してこなかったら⁉︎
これはもう誰でも想像がつきますよね?
まだ日本はちょんまげです。
さすがにそれはないですね。単純に明治が訪れるのが遅くなっていたということくらいでしょうか。
しかし、江戸幕府が外国の言うことを聞いたから、外国との戦争は回避出来たのだと思います。日本国内では戦争が起きてしまいましたが、結果的には幕府の好判断だと思いますね。
もし頑なに日本が鎖国を貫き通していたら、インターネットがはびこるこのご時世に未だにちょんまげに刀なんてこともあったかもしれないですよね。
現在も何々部族が存在しているのですから、ちょんまげ族とか呼ばれていたかもしれませんね。
まとめ
日本の誰もが知っているペリーさんですが、アメリカではどのような生き方をしてきたのか知ることが出来きたのではないでしょうか。バリバリの海軍でした。
ペリーさんにしてみたら、日本人のほとんどに自分の名前が知られることになるなんて、夢にも思ってなかったでしょう。
それほど日本にとっては一大事件だったのですよ。ペリーさん!
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