今回は、そこまで有名という分けではありませんが、天下人・豊臣秀吉さんの家臣として活躍し、「賤ヶ岳の七本槍」の1人にも数えられている糟屋武則さんについて紹介していきます。
関ヶ原の戦いで負けてしまってからの晩年は、正確なことが分かっておらず数々の説があるお方でもあります。
それではまいりましょう。
※歴史上のことなので諸説あります。
この記事のあらすじ
軍師・黒田官兵衛との接点!
1562年、播磨国(現・兵庫)で武則さんは誕生しました。
母は、播磨国御着城主・小寺政職さんの妹とされ、この方は始め糟屋家へ嫁ぎ武則さんの兄・糟屋朝正さんを生み、その後離縁、そして志村家へ再縁して武則さんを生んだのです。
武則さんは父が亡くなると、加古川城糟屋家当主となっていた兄・朝正さんに育てられます。
この恩もあり、武則さんは志村姓を捨てて糟屋姓を名乗ったのです。
ちなみに御着城主・小寺政職さんの家臣には超有名人、そして2014年大河ドラマの主役でもあります黒田官兵衛さんがおりました。
ドラマでの政職さんは片岡鶴太郎さんが演じられ、「優柔不断で最後には官兵衛さんを裏切ってしまう」といった人物でした。
羽柴秀吉の家臣として三木合戦に参戦!
織田信長さんの命で羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)さんが「中国攻め」を開始します。
糟屋氏は別所氏の家臣であり、秀吉さんとの間で行われた会談「加古川評定」で別所氏と秀吉さんが対立、「三木合戦」へと繋がってしまうのです。
15歳の武則さんも兄とともに別所氏の居城・三木城に入ります。
しかし、ここで登場官兵衛さん!
武則さんを説得し、三木城から加古川城へ戻しました。
さらに官兵衛さんは秀吉さんに武則さんを推挙、そのまま秀吉さんの家臣となり三木合戦にも参戦したのです。
2年余りも続いた三木合戦も「三木の干殺し」という兵糧攻めで秀吉軍の勝利、この戦いで兄・朝正さんは討死してしまったため、武則さんは糟屋家の家督を相続しました。
武則さんはのちに官兵衛さんの子・黒田長政さんの槍の師範となるよう勧められた話もあるのです。
賤ヶ岳の七本槍の1人!
羽柴秀吉さんの下、そのまま中国攻めに従軍しますが、1582年の20歳頃、織田信長さんが家臣・明智光秀さんの謀反により本能寺で自害してしまいます。
「光秀討つべし!」と、信長さん家臣たちが全国から一斉に京を目指します。
その中で、秀吉さんが「中国大返し」を成功させ、本能寺の変からわずか11日後の「山崎の戦い」で見事1番に光秀さんを討ったのです。
武則さんもこれに参加していましたね。
その翌年には、信長さん亡き後、柴田勝家vs羽柴秀吉に2分されていた織田家臣たちの戦い「賤ヶ岳の戦い」で秀吉さんの面前で大活躍を見せ、播磨国2000石と河内国(現・大阪)1000石を与えられ「賤ヶ岳の七本槍」の1人として数えられました。
その後も、秀吉さん家臣として「九州征伐」「小田原征伐」「朝鮮出兵」などにも出陣し、天下統一に一役かっております。前線で戦うよりは秀吉さんの周囲を守る後方支援の役回りだったとされていますね。
36歳頃、播磨国内でさらに加増され加古川城主1万2000石の大名となったのです。
関ヶ原の戦いでは西軍側で改易に!
38歳頃の1600年に起こった「関ヶ原の戦い」で、前哨戦でもあった「伏見城の戦い」にも参加、そして本戦では豊臣政権での五大老の1人である宇喜多秀家さんの隊で戦いました。
本戦には参加せず、大阪に滞在したとも言われていますが、どちらにせよ敗戦側となってしまい、戦後の処理で家禄没収となってしまったのです。
七本槍の中で唯一の西軍側に付いて改易されてしまったお方なのです。
同じ七本槍で西軍に付いた片桐且元さんは、戦後の豊臣家と徳川家の間を取り持つ事に紛争し、大和国(現・奈良)竜田藩初代藩主になっています。
諸説ある晩年…。
①改易されてしまったが、1602年に許され、500石の旗本として徳川家臣となった。
②武則さんは隠居し、子に家名存続を託したが、1601年に武則さん、翌年には子が亡くなったことにより、武則さんの弟の子が糟屋家を500石で相続した。
③実は関ヶ原の戦い以前に毒により既に亡くなっていて、武則さんの子が関ヶ原の戦いに出陣していた。
戦いに敗れると改易されるも、2年後には領地を1万2000石まで回復、1615年の大阪夏の陣で討死したともされています。
④武則さんと子は備中国(現・岡山)国吉城に入ったともされる。
まとめ
今回は、豊臣秀吉さんの下で「七本槍」の1人として活躍した糟屋武則さんを紹介しました。
あまり知られてはいないお方ではありますが、逆に諸説が色々あり想像を掻き立てられるような方で面白いのではないでしょうか。
実は、姓が「粕屋」「糟谷」「加須屋」など、そして名前が「数政」「宗重」「宗孝」などなどが別名としてあり、年代によって使用しているのが違うため本人なのか子なのか混乱させてくるようなお方なんです。
そのため、色々諸説があるのでしょうね。
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