【伊能忠敬】日本地図を完成させた男!そして人生を2度生きた男!

江戸時代
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伊能忠敬(いのうただたかんをご存知でしょうか?

そうです!日本地図を完成させるために日本中を歩き回ったお方です

“50歳を機に子供の頃から興味があった天文学を1から勉強し、55歳から17年かけて日本地図を完成”させたのです。

 

それ以前は、酒造業で大成功を治めたお方でもあります。

“人生を2度生きた男!”ということもあり、高齢化社会である現在にとって、とても評価が鰻上りのお方なのです。

 

今回は、伊能忠敬さんについて分かり易く紹介していきます。

 

※歴史上のことなので諸説あります。

 

この記事のあらすじ

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伊能忠敬さんの第一の人生!

1745年、現・千葉県にあった村の名主(なぬしの家で生まれました。江戸時代後半くらいです。

母が6歳の時に亡くなると、婿養子だった父は実家に帰ってしまい、三治郎少年(忠敬さんの子供の頃の名)は親戚や知り合いの家を転々とすることになります。

父の新しい継母とそりが合わなく、さらに周囲の環境にも恵まれず、不幸な少年時代を過ごしていました。

 

17歳頃酒造家である伊能家の婿養子となります。この時、「忠敬」という名前をもらいます。「伊能忠敬」誕生ですね。

 

伊能家の家業は危機的状況にありましたが、忠敬さんの手腕で再興していきます。

36歳の時には村の名主となっています。

 

忠敬さんは、6年間も発生していた江戸四大飢饉の中でも最大の「天明の大飢饉」の際も、自らのお金や米を村人たちに配り、村から一人の餓死者を出さずに守り抜いたのです。

 

伊能家の年間利益は、現在の価値で1億円以上にまで増えました

 

そして忠敬さんは50歳の時、家督を長男に譲り、自分は隠居し江戸へと向かうのです。

第2の人生へと。

 

 

本当は地球の大きさを知りたかっただけ?

江戸幕府は、その頃利用していた暦が度々日食や月食を外していたことなどもあり、変更することを決定します。

その作業に選ばれたのが、日本初月面観測を行った大阪の麻田剛立(あさだごうりゅう一門の高橋至時(たかはしよしときさんと間重富(はざましげとみさんというお方たちでした。

天文学にとても興味があった忠敬さんは、50歳の時19歳下の高橋至時さんに弟子入りしたのです。

熱心に勉学や天体観測に励み、自宅を天体観測用に改造するほどでした。

頑張りすぎて推歩(すいほ先生」という仇名で呼ばれるほど。推歩とは星の動きを測ること。

 

より正確な暦を作るには、地球の大きさや日本各地の緯度・経度が必要だと考える至時さんと忠敬さん。

「江戸から蝦夷地(えぞち(北海道)の正確な距離を測りたい!」と思うようになります。

 

そこで至時さんと忠敬さんは考えます。

幕府に、「蝦夷地の地図を作るから行かせてほしい!」と願い出たのです。この頃は幕府の許可がなければ蝦夷地に行けなかったのです。

その流れで暦に必要な情報も得てしまおうという考えでした。

地図作りは、本来は二の次だったんですね。

 

そして忠敬さん55歳は、息子を含む9人と馬2頭で蝦夷地に向けて出発したのです。

 

 

日本地図作成開始!

①第一次測量(蝦夷地)、忠敬さん55歳。

測量方法は、歩幅が一定になるように訓練し歩測で測ります。

1日に約40km移動。

測量日数は180日、うち蝦夷地滞在は117日。

 

蝦夷地滞在中に間宮林蔵(まみやりんぞうさんを弟子にしています。

林蔵さんは、北海道の北にある樺太島が「島」なのか「半島」なのか分からなかったのですが、それを「島」であると確認したお人です。ユーラシア大陸と樺太島の間を間宮海峡と呼びます。

 

蝦夷地の測量を終えた忠敬さんは、師匠である至時さんに「これほどきちんと出来るとは思わなかった」と褒められています。

 

➁第二次測量(伊豆~東日本太平洋側)、忠敬さん56歳。

第一次測量が高い評価を得られたため、第二次測量スタート。

今回から事前に御触れが出て、現地の村人の助けがもらえるようになりました。

今回は歩測測量ではなく、約180cm毎に印が付けられた間縄(けんなわでの測量に変更

伊豆半島や太平洋側の道は断崖絶壁が多く、船から縄を張っての測量や岩をよじ登っての測量となり、かなり過酷な測量となりました。

 

測量日数は230日で終了。

 

③第三次測量(東北日本海側)、忠敬さん57歳。

この頃より忠敬さん、測量に協力的でない役人を叱りつけるようになります。忠敬さんちょっとプライドが出てきてしまいました。

 

ちょっと珍しい現象が起こります。

象潟(きさかた(秋田県)周辺を測量後、その2年後に象潟地震が発生。

地震の影響で土地が隆起してしまい、姿を全く変えてしまったのです。

そのため、忠敬さんの地震前の測量記録が大変貴重なものとなりました。これは凄いですよね。

 

測量日数132日で終了。

師匠の至時さんが忠敬さんの測量を信用しなかった場面があり、これには忠敬さんちょっとご立腹。やはりプライドが出てきた感が。

 

④第四次測量(東海~北陸~佐渡)、忠敬さん58歳。

加賀藩(石川県)や糸魚川(いといがわ藩(新潟県)でちょっとしたいざこざが起こりましたが、測量日数219日間。これで東日本の海岸線の測量が終了。

 

当初の目的でもあった地球の大きさについて、至時さんがその頃手に入れた西洋の天文著に書かれていた数値と、忠敬さんが測量した数値が非常に近い数値であったため、2人は大いに喜び合った。当初の目的はこれでしたよね。

 

しかし、その年明けに至時さんが39歳の若さで亡くなってしまいました。

忠敬さんは毎朝、至時さんの墓の方角に向けて手を合わせていたといいます。

 

⑤第五次測量(近畿~中国)、忠敬さん60歳。

元々は西日本の測量は至時さんの同僚の間重富さんの役目でした。

しかし、至時さんの子が19歳の若さで役職の後釜に就いたことにより、重富さんはその補佐役にあたりました。忠敬さんはご老体に鞭を打ち頑張ります。重富さんラッキー!

 

四国、九州を含めた西日本を一気にやってしまおうという計画でしたが、作業がかなり難航したため、今回は近畿と中国のみで終了しました。琵琶湖の測量には37日間もかかりました。

瀬戸内海の島々を、多くの船や人々で測量する風景を描いた絵巻が今でも残されております。

 

秋穂浦(山口県)まで測量を終えた忠敬さんは、マラリアの症状を訴え治療に専念することになります。

ここで問題発生!

忠敬さん抜きで測量していた隊員が、禁止されていた酒を飲んだり、地元の村人に横柄な態度を取っていたのです。

忠敬さんは江戸に帰路後、2名を破門、3名を謹慎処分としました。忠敬さんは厳格な性格なのです。

測量日数、1年9カ月。

 

⑥第六次測量(四国)、忠敬さん63歳。

今回は、息子の秀蔵さんの病気の離脱があったものの、各藩の協力が多く得られ大きな問題もなく終了。

1年弱で江戸に帰路。

 

⑦第七次測量(九州第一次)、忠敬さん64歳。

この頃に娘に出した手紙の内容には、かなりの体力の衰えが感じられます。

「10年も歩き続け、歯も1本になってしまった。もう奈良漬けも食べられない…」と。

やりたかった天文学から、今では只の地図作成の仕事になってしまっていたのです。だとしたら悲しいですね。

 

薩摩藩(鹿児島県)の測量にて、波が荒いので種子島・屋久島は無理と考えていましたが、江戸幕府は無理にでも渡ってほしいと予定に組み込まれていました。結局は渡れなかったのですが。

これには、当時閉鎖的だった薩摩藩の内情偵察の意味も含まれていたとされるのです。

 

1年9カ月で帰路。

 

⑧第八次測量(九州第二次)、忠敬さん66歳。

出発する前に忠敬さん、長男に向けての遺書を送っています。そろそろやばいのかな?

 

前回出来なかった種子島・屋久島、九州北部を測量しました。長崎の九十九島もです。嫌になりそう…。

 

今回の測量で副隊長であった坂部さんが亡くなってしまいます。

「鳥が翼を取られたようだ…」と忠敬さんはかなりの落胆を見せました。

 

測量日数、913日間。一番長い。

その後、間宮海峡を発見した間宮林蔵さんが訪ねてきて、1週間で測量技術を教えます。

 

⑨第九次測量(伊豆諸島)、忠敬さん70歳。

忠敬さん高齢のため今回は不参加です。

1年ほど。

 

⑩第十次測量(江戸の周り)、忠敬さん71歳。

これには忠敬さんも参加。

 

間宮林蔵さんが、途中だった蝦夷地の残りの測量を終え現れます。ナイス!林蔵!

 

しかし、忠敬さんの体調が悪化、地図をまとめている途中で73歳の生涯を閉じました。

 

地図作成のために17年で歩いた距離は4万kmの地球一周分です。

「地球の大きさを知りたかった忠敬さんは、地球と同じ距離を歩ききったのですね。」

 

そして3年後、弟子たちの手で「伊能図」は完成しました。

 

 

まとめ

商人として大成功を治めた忠敬さんは、全く別の第2の人生でも大成功しました。

 

倹約家で几帳面でまじめ。そして厳格。

娘を勘当したり、一緒に歩き続けた息子も破門したりしています。

地図の精度を上げるために、天体観測も欠かさずやっていますからね。

全測量日数3754日のうち天体観測を1404日もしています。3日に1日以上はしてますね。てことは晴れの日は毎日かな?

 

人生を成功する秘訣は「まじめ」であることかな?

 

 

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