源氏と平氏の戦い「源平合戦」、その一つである「一ノ谷の戦い」。
この一ノ谷の戦いでは、源氏のヒーローである源義経さんが急な坂を馬で駆け下り、平氏の背後からの奇襲で勝利を治めたことでも有名な戦いですね。
しかし、本当に馬で急な坂を下ったの?
装飾された物語ではないの?
ということで今回は、「鵯越の逆落とし」で有名な「一の谷の戦い」を紹介していきます。
※歴史上のことなので諸説あります。
この記事のあらすじ
一ノ谷の戦いの背景は?
天皇と三種の神器と共に平氏都落ち
1181年、平氏全盛期を築き上げた平氏棟梁・平清盛さんが亡くなります。
源氏がどんどん勢力を拡大し続け、ついには京の都から平氏を追い払うのです。
しかし、平氏は都落ちするとき、8歳の安徳天皇と天皇家に代々受け継がれている「三種の神器」を持って行ってしまいます。
天皇と神器があれば平氏はまだまだ実権を握れると考えたのでしょう。
後白河法皇は平家追討と三種の神器奪還を源氏に命じます。
「あれ?神器だけ?天皇は?」って思いますが、この時には、次の新たな天皇が即位しちゃっております。
安徳天皇もまだ天皇を退位したわけではないので、異例である天皇の重複と三種の神器なしでの即位だったのです。
源範頼、源義経、一ノ谷へ
平氏は、清盛さんが京都に変わり新たな都を築こうとしていた福原(兵庫県)で再起します。
後に鎌倉幕府を立ち上げる源頼朝さんの命により、弟・源範頼、源義経兄弟が向かいます。
この一ノ谷の戦いで、義経さんの奇策「鵯越の逆落とし」が見事にはまり、平氏を追い詰めていくのです。
実際、一ノ谷以外でも生田口、夢野口、塩谷口でも激戦は繰り広げられていたのですが、義経さんの戦いが目立ち過ぎて、全てまとめて「一ノ谷の戦い」となってしまっています。
義経さんの兄である範頼さんも活躍はしているのですが、いかんせん義経さんの影に隠れてしまっていますね。
後白河法皇の策略で勝敗は見えていた?
合戦の前日に、平氏の元へ後白河法皇からの使者が現れ、「源氏、平氏は戦わないように!」という和平勧告が言い渡されていました。
これを平氏は信用してしまい、警戒を緩めたところに源氏の一斉攻撃が起こったのです。
義経さんの奇策以前に、このこともあり勝敗は決していたとも言われています。
源頼朝さんは後白河法皇のことを「日本一の大天狗」と言っていますね。
鵯越の逆落としとは?
(上の写真はイメージです。さすがにこの崖は下れないですね。)
義経さんは僅か70騎を率いて、平氏の一ノ谷陣営を目指します。
鵯越で、義経さんは「鹿はこの難路を越えるか?」と猟師に問うと、
「餌を求め往復する」と答えた。
義経さんは、「鹿が超えられるならば馬も超えられるであろう」と進んで行きます。
そして、平氏の一ノ谷陣営の裏手、断崖絶壁の上に辿り着いたのです。
平氏が山側を全く警戒していないことを好機と読んだ義経さんは坂を下ることを決断。
馬2頭を先に走らせ、1頭は足を挫いたが、もう1頭は無事に駆け下る。
それを見た義経さんは、「皆の者、駆け下りよ!」と先陣を切った。
これが有名な一ノ谷の戦いでの義経の奇策、「義経の鵯越の逆落とし」なのです。
鵯越の逆落としは創作?
平家の栄華と没落を描いた軍記『平家物語』。
鎌倉幕府の将軍たちを描いた歴史書『吾妻鏡』。
この2つには、鵯越の逆落としの記載は載っています。
しかし、鵯越という場所は義経さんが戦った一ノ谷から8kmほど離れている所にあるため、距離的な矛盾が生じるのです。
平家物語の作者は、義経さんの活躍を演出するために距離の矛盾をないものとしたのではとされています。
実際、一ノ谷の裏手には傾斜がきつい鉄拐山があります。
ここを駆け下りたとすれば距離の矛盾はなくなります。
九条兼実(くじょうかねざね)の日記「玉葉(ぎょくよう)」
九条兼実さんは平安時代の公家のお方なのですが、このお方が40年間書き綴った日記は当時を知る一級資料なんです。
なんとこれには「義経の鵯越の逆落とし」は出てこないのです。
一ノ谷の戦いの前哨戦である「三草山の戦い」で勝利した義経軍は2手に別れます。
義経本軍は鵯越は通らず一ノ谷へ。
多田行綱率いる別働隊は鵯越を通り夢野口へ。
となると、鵯越の逆落としを実現させたのは、義経さんではなく、
多田行綱さんだったのではないでしょうか。
夢野口の背後に鵯越があるのです。
まとめ
今回は、源平合戦の名場面でもある「義経の鵯越の逆落とし」は本当にあったことなのかどうかを紹介しました。
歴史書となると、作者の都合上創作されてしまうものもあったり、この方が面白いんじゃないかと装飾もされてしまうものだとも思います。
真実を知りたいとも思いますが、もしこれが創作であったとしても、誰もが知る有名な出来事となっているので、それはそれですばらしいことなのかもしれませんね。
馬が急な崖を下ってくる様は、さぞかし圧巻だったことでしょう!
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