【原田左之助】新選組十番隊組長が坂本龍馬を暗殺?喧嘩して切腹も!

江戸時代
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みんな大好き「新選組」

今回はその中の、十番隊組長である原田左之助(はらださのすけさんを紹介していきます。

 

新選組結成以前の江戸の頃から、近藤勇(こんどういさみ土方歳三(ひじかたとしぞうとも旧知であり、そして新選組の主だった戦いでも活躍を見せています。

新選組を題材にしたドラマ、本、漫画などには欠かせないお人ですね。

しかも、幕末の有名人、坂本龍馬(さかもとりょうま暗殺の容疑者としても名前が上がるような、話題には事欠かないお人です。

 

それでは、原田左之助さんを紹介していきましょう。

 

※歴史上のことなので諸説あります。

 

この記事のあらすじ

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新選組結成までの原田左之助

1840年、伊代松山藩(愛媛県)で生まれました。

 

15、6歳頃、武家奉公人(ほうこうにん中間(ちゅうげんとして働いています。

武家に仕える仕事で、「若党(わかとう」「中間」「小者(こもの」といった区別があり、「若党」は羽織、袴を着て大小2本の刀を差しています。

左之助さんのしていた「中間」とは、脇差1つだけを持ち、雑用、時には戦いにも参加する務めです。

 

「冷奴」の語源は職業?

左之助さんがしていたかは分かりませんが、「中間」を蔑む呼び名でもある(やっこという武家の下僕的な役もあり、参勤交代などの大名行列では荷物持ちなどの雑務をする人。

 

この「奴」、今でも残るたくさんの語源になっていて、一番の有名どころで「冷奴」

奴は、四角形の柄の入った半纏(はんてんを着ていて、食材を立方体に切ることを「奴に切る」と表現していました。

そのことから、豆腐を奴に切って食べるという「冷奴」が誕生したのです。

 

遊郭の女性が、奴の男性の言葉や行動を真似るようなこともあり、その女性たちを「〇〇奴」と呼んでいます。

 

左之助さんの紹介からは少しズレてしまいましたね。

 

 

 

上司と喧嘩して切腹?

19歳頃、左之助さんは優しい一面もありましたが、基本短気な性格であったため、その頃の上司と喧嘩に発展。

上司は「腹を切る作法もしらぬくせに!」と罵ると、短気な左之助さんは予想通りの行動に。

カッとなり、本当に腹を切って見せたのです。

傷は浅く命に別状はありませんでしたが、その後すぐに中間の仕事を辞めてしまいました。

自分はいつまでもこの身分の仕事をしている器ではないと思っていたのだと思います。

 

のちの新選組隊内では、その傷から「死損ね左之助」の仇名で呼ばれたり、

「俺の腹は金物の味を知ってるんだ、てめぇたちのような軟な奴とは違うんだ!」と自慢したり、

酒を飲んでは「切れ!切れ!」と騒いだりと、切腹傷ネタを使っています。

 

家紋もなんと、〇に一文字という切腹傷の形であったという逸話もあります。

これはもう「死損ね左之助」ではなく、「切腹左之助」ですね。

傷跡から察するに、「左利き」だそうです。

 

「槍」の免許皆伝に!そして江戸へ。

のちの新選組七番隊組長・谷三十郎(たにさんじゅうろう、その弟・谷万太郎(たにまんたろうが大阪で開いた道場で免許皆伝となり「槍の名手」となります。

 

そして22歳頃江戸の近藤勇の試衛館道場に食客として居座ります。

試衛館には、門弟として土方歳三や沖田総司(おきたそうじ、食客として永倉新八(ながくらしんぱち藤堂平助(とうどうへいすけなどのちの新選組隊長たちが顔を連ねていました。

 

翌年、試衛館の面々は将軍護衛として浪士組を結成し京都へ向かいます。

そしてそのまま京都に残留し、「新選組」を結成するのです。

 

 

新選組時代の原田左之助

新選組での左之助さんは、殿軍(しんがりぐん」である十番隊組長を任せられます。

殿軍とは、本隊が後退しなければいけない状況において、本体からの援軍を受けず限られた戦力で敵の攻撃を食い止めなければいけない任務。

局長・近藤勇さんが左之助さんにどれほど期待していたかが分かりますね。

 

数々の戦闘に参加!

新選組を有名にしたほとんどの戦闘に参加しています。

 

新選組結成当初の筆頭局長・芹沢鴨(せりざわかもの粛清

「攘夷志士vs新選組」との死闘である池田屋事件でも土方隊で参加。

「長州藩vs江戸幕府」の武力衝突事件、禁門の変にも参加。

新選組内部抗争である油小路(あぶらのこうじ事件でも旧知である藤堂平助とも戦っています。

長州藩のスパイとして新選組に入隊していた、新選組美男5人衆の1人である楠小十郎(くすのきこじゅうろうの粛清もしていますね。

美男5人衆なんて人たちがいたんですよ。新選組っぽいですね。

 

 

 

 

坂本龍馬暗殺の容疑?

「今一度日本を洗濯致し候」のままに日本の世直しをする龍馬さん。

仲の悪かった薩摩藩と長州藩を見事に引き合わせた「薩長同盟」。

戦争回避のために江戸幕府から政治を朝廷に返させた「大政奉還(たいせいほうかん」などを実現させました。

 

数々の偉業をやってのけた龍馬さんですが、やはり敵は多かった。

左之助さん27歳頃、龍馬さんは京都の近江屋で暗殺されてしまったことは有名ですね。

 

その容疑者の1人として左之助さんの名前が上がっているのです。

現場に左之助さんの鞘が落ちていたり、下手人が「こなくそ!」と伊予訛りがあったという理由ですね。

実際は、新選組は龍馬暗殺に関係なかったとされています。

 

2004年大河ドラマ「新選組!」では、近藤勇さんが龍馬さんが狙われている危険があるため左之助さんに様子を見てきてほしいと頼みますが、既に龍馬さんは討たれた後でした。

悔しさのあまり「こなくそ!」と発していました。上手いシーンだなと今でも憶えています。

 

 

 

まとめ

今回は、みんな大好き新選組十番隊組長・原田左之助さんを紹介しました。

 

新選組の数々のタイトルで原田左之助さんは登場しますし、どのような人柄であったかというのも想像出来たかと思います。

喧嘩して罵られたから切腹までしてしまうという行動も思い描いていた原田左之助の人物像そのままですよね。

 

ちなみに新選組隊内ではほとんどいなかったという結婚までしているのです。

かなりの愛妻家でもありました。

左之助さん自身も美男子であったという記録も残されていますからね。

 

竹を割ったような性格で愛妻家でしかも美男子ときたら、かなりのイクメンであったことでしょう。

 

 

 

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