「浅井茶々」と聞くと?ですが、「淀殿」とかどうですか?「浅井三姉妹」では?
歴史好きの方であればどれかしらの名前は聞いたことがあると思います。
天下人・豊臣秀吉さんに大変気に入られ側室にまでなったお方です。
側室なのに正室を押し退けてグイグイ前に出る感じのお方です。
「日本三大悪女」なんて呼ばれちゃったりしています。
しかし、本当はとても苦労の絶えない人生を送っていた女性なんです。強めの性格が作られた事を納得してしまうほどです。
ということで今回は「浅井茶々」さんをご紹介します。
それではまいりましょう。
※歴史上のことなので諸説あります。
この記事のあらすじ
浅井茶々が淀殿と呼ばれるまで。
1569年頃、戦国大名・浅井長政さんと、織田信長さんの妹・お市さんの間に長女として生まれます。
しかし、亡くなった時の年齢と誕生にズレがあるためお市さんの連れ子とされたり、さらにはお市さんと信長さんは従妹という説もあるため、信長さんとお市さんの娘とされる説もあります。
どちらにせよ、信長さんの血は引いているのです。
浅井茶々さんと、戦国大名・京極高次さんの妻・初さん、徳川2代将軍・徳川秀忠さんの妻・江さんの3人合わせて「浅井三姉妹」と呼ばれております。
5歳頃、長政さんとお市さんによる政略結婚で、浅井家と織田家は同盟を結んでいましたが、信長さんがそれを破ってしまいます。
信長さんに城を攻められ浅井家は滅亡。
父・長政さんは自害。
兄は羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)さんによって処刑されてしまいました。
15歳頃、信長さんが「本能寺の変」で亡くなると、信長さんの家臣・柴田勝家さんと母・お市さんが再婚します。
しかしその翌年、秀吉さんが勝家さんとの天下取り争いで対立。
秀吉さんが勝利し、勝家さんとお市さんは自害してしまうのです。
その後、三姉妹は秀吉さんのもとへ行き保護を受けるようになります。
間接的ではありますが父、兄、母の仇である秀吉さんのもとへ行くのはどのような気持ちだったのでしょうか。
20歳頃、秀吉さんの側室となります。
実は秀吉さんは戦国一の美女とされていたお市さんに興味があり、三兄弟で一番お市さんに似ていた茶々さんを側室に迎えたとされています。
ということは茶々さんもかなりの美女だったのでしょう。しかし、肖像画を見る限り父・長政さん似であまり美女ではなかったとも?大柄なお方でした。
翌年には、秀吉さんの跡継ぎを生みます。
秀吉さんは大変喜びました。なぜなら秀吉さんには20人以上の妻がいましたが子供が1人もいなかったのです。しかも歳は50歳越え。これは誰でも喜びますよね。
嬉しさが度を越え、茶々さんに住まいとして「淀城」をあげます。20歳前半で「城持ち」となったのです。しかも女性で。「淀殿」と呼ばれた由縁ですね。
子・秀頼のために!
待望の豊臣家跡継ぎが誕生しますが、3歳という若さで亡くなってしまったのです。秀吉さんと淀殿は大変悲しみます。
そんななか、2年後の25歳頃、またまた男児・秀頼くんが誕生しました。
秀吉さんはまたまた大喜びですが、ちょっと不自然ですかね。
ずっと子供が出来なかったのにここに来て連続で生まれるという。
父親は別にいるのではという噂まで立つのです。
淀殿は、秀吉さんの跡継ぎを生んだようにみせれば、豊臣家の実権を握れますよね。真実は分かりませんが。
実際、数年後に秀吉さんは亡くなり、幼い秀頼くんの変わりに、淀殿が政治を行うようになります。
この女性ながら政治を動かそうとする辺りが、「悪女」と言われる所以みたいです。他の「悪女」と呼ばれている方たちにも同じような傾向が見うけられますね。
秀吉さん亡き後、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康さんがどんどん力を持ち始め、豊臣家の領地を減らされたりと、淀殿は気が気ではありません。
秀頼くんと家康さんとの会見を断固として拒否し続けました。豊臣は徳川家の家臣となったと世に認識されてしまうからです。
秀吉さんが生きていた頃より決まっていた、徳川秀忠さんと江さんの娘・千姫と秀頼くんが結婚します。
これにより、豊臣と徳川が会うという事ではなく、妻の祖父に会うという面目で秀頼くんと家康さんは会見したのです。
秀頼くんはとても体格が良く、大柄に成長していたため、そのオーラに家康さんは不安を抑えきれずに豊臣家は倒さなければいけないと決断したといいます。
当時の関係って面白いですよね。敵に妹がいて、味方に妹の子供がいるとか。
豊臣家は、徳川はまだ豊臣の家臣なのだから、いずれ政権は返されると思っていました。
しかし、家康さんは2代目を秀忠さんに譲ってしまいます。
この意味は、この先も徳川家で政治を行うという表れなのです。これには淀殿大激怒ですよね。
そしてついに、豊臣vs徳川の「大阪の陣」が開戦してしまったのです。
「大阪冬の陣」では真田幸村さんなどの活躍もあり大勝利で終えますが、徳川軍は大阪城に向けて大砲を放つなどして心理的に追い詰めていきます。
淀殿の女中たちも目の前で亡くなっていき、淀殿はこの光景を見て戦意喪失してしまったのです。
翌年の「大阪夏の陣」で大敗を期し、千姫の助命嘆願も叶わず、淀殿は秀頼くんと共に49歳の生涯に幕を閉じたのです。
まとめ
浅井茶々さんの人生は、家族のために生きた人生ではないでしょうか。
若いころは、父、母、兄の死を目の当たりにし、そして仇である秀吉さんの妻となり、その跡継ぎを生むことになります。
しかし、秀頼くんが子供のうちに秀吉さんは亡くなってしまい、女性でありながら秀頼くんと豊臣家を守らなくてはならなくなりました。
とても苦労の絶えない波乱万丈の人生だったのです。
唯一の救いは、仲の良い姉妹がいたことですね。
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