浅井江さんとは誰でしょう?男性、女性?
フルネームですと逆に分からなくなる感じですね。
2011年大河ドラマの主役にもなった、「浅井三姉妹」の末っ子「江」さんです。
豊臣秀吉さんに愛され跡継ぎを生んだのが、「浅井三姉妹」の長女・茶々さん。
そして、江さんは豊臣家のライバル、徳川2代将軍・徳川秀忠さんの奥さんになったお方でもあります。
「浅井三姉妹」は戦国一波乱万丈な人生を送った姉妹なんです。
今回は三姉妹の三女・江さんについて紹介していきます。
ちなみに「浅井三姉妹」は織田信長さんの妹の子供たちなんです。
※歴史上のことなので諸説あります。
この記事のあらすじ
波乱万丈な子供時代!
1573年、戦国武将・浅井長政さんと織田信長さんの妹・お市さんの間に三女として生まれました。長女・茶々さんは父が違う説もあります。
生まれたその年、母の兄・織田信長さんと父・長政さんが対立、浅井家は滅ぼされてしまったのです。
10歳頃、その信長さんが本能寺の変で亡くなります。
その後、信長さんの家臣・柴田勝家さんと母が再婚。
しかし翌年、こちらも信長さんの家臣だった羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)さんと勝家さんが対立、勝家さんは敗北してしまい、母・お市さんと共に自害してしまったのです。
三姉妹は秀吉さんに引き取られ、そして長女・茶々さんは秀吉さんの側室となり2人の子を儲けます。
しかし、秀吉さんは三姉妹にとって家族の仇なんですよね。
三姉妹の兄は信長家臣時代の秀吉さんに処刑されていますし。既にここまでで十分な波乱万丈なんです。
11歳頃、母の妹、ということは信長さんの妹、その子供である佐治一成くん16歳のところにお嫁に行きます。
しかし、結婚して直ぐに一成くんは秀吉さんの怒りを買ってしまい追放させられたのです。江さんとも離縁となっちゃいました。
20歳前後の頃、2度目の結婚をします。
秀吉さんの姉の子・豊臣秀勝さんに嫁ぎました。
しかし、秀勝さんは秀吉さんの朝鮮出兵に参加したのですが、朝鮮で病死してしまうのです。
2人の間には娘が1人いたので、その子は姉の茶々さんが育てることになります。
23歳頃、徳川家康さんの子、のちの徳川幕府2代将軍・徳川秀忠さんと3度目の結婚をします。
そして、3代将軍・徳川家光さんや、茶々さんの子・豊臣秀頼さんの奥さんとなる千姫を生みます。もう関係性が敵味方ぐちゃぐちゃですね。
43歳頃には、豊臣家vs徳川家の「大阪の陣」が起こりますから、姉・茶々さんや自身の子・千姫とは敵対関係になってしまうのです。
この戦いの時、三姉妹の次女・初さんが両家の間を取り持って奮走しています。
江はどんな性格のお人?
近年の遺骨調査で、かなり小柄で華奢なお方だった事が分かっております。
母・お市さんが戦国一の美女として有名ですから、小柄な美女って感じだったのでしょう。
夫・秀忠さんは側室を1人も持たず、「自分が死んだら江と同じお寺に埋葬してほしい」と言っていますので、かなり仲の良かったお2人だったのでしょう。
しかし、江さんはとても嫉妬深かった女性ともされています。
秀忠さんは浮気をしたことがあり、子供が出来てしまったのですが、江さんを恐れるあまり一度も子供に会わずに養子に出しています。
子孫が天皇と結婚!
2度目の結婚の時に生まれた完子さんや3代将軍・家光さんの娘など子孫が後に、天皇家に嫁いでいきます。
逆をたどれば、江さんの母は織田信長さんの妹なのですから、線を繋げると現在の天皇と織田信長さんは血が繋がってるってことになりますね。
まあ昔は天皇家と将軍家がたくさん結婚しているので、もっともっと掘ればいろいろ繋がっているとは思いますが、やはり凄いことですよね。
まとめ
戦国の世に振り回された浅井三姉妹の三女・江さん。
いろいろなところに嫁がされもしましたが、秀忠さんに嫁いでからは結構安定した人生を歩まれたのではないでしょうか。
子宝にも恵まれ、夫も束縛し、子孫も天皇という、大器晩成型とはこういうことを言うのでしょうね。
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