【徳川秀忠】徳川幕府2代将軍。父・家康に翻弄される人生!

徳川秀忠(とくがわひでたださんは徳川幕府2代将軍です。

これ結構知らない人多いんですね。テストでも徳川家康(とくがわいえやすさんや3代将軍・徳川家光(いえみつさんは出てくるのですが、なぜか秀忠さんは飛ばされちゃいますね。なぜなんでしょう?

しかし、ドラマなどでは家康さんと一緒に結構登場するんです。

天下分け目の「関ケ原の戦い」や、真田幸村(さなだゆきむらさんで有名な「大阪の陣」

まあどちらも父・家康さんにあることが理由で怒られちゃっているんですが…。

今回は、ちょっと日陰の感じのある徳川秀忠さんについて紹介していきます。

それではまいりましょう。

※歴史上のことなので諸説あります。

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3男ですが徳川の跡継ぎに選ばれました。

1579年遠江国(とおとうみのくに浜松(静岡県)で誕生しました。

家康さんの長男は同じ年に切腹しています。この長男はかなりの破天荒なお方でした。

織田信長(おだのぶながさんの娘と結婚したんですが、夫婦仲は良くなく、妻は父・信長さんに向けて「夫と姑と全く合いません。もう無理です!」的な手紙を送ります。

信長さんは怒ってしまって、なんやかんやで切腹です。

この長男、娘しか生まれなくて、妻を怒ったなんていう話もあるかなりすごいお方なんです。

そして、次男は天下人・豊臣秀吉(とよとみひでよしさんの養子になりました

しかし、秀吉さんに跡継ぎが生まれると、別の家に養子に出されちゃいます…。

ということで、秀忠さんは3男ではありますが徳川家の跡継ぎとして育てられます。

16歳頃、織田信長さんの妹の子で、豊臣秀吉さんの養女でもある、「浅井三姉妹」の3女・(ごうさんと結婚します。肩書がちょっと長すぎましたね。

21歳頃関ケ原の戦い開戦

秀忠さんはちょっと失敗して家康さんに怒られてしまいます。

家康さん率いる本陣とは別の道で関ケ原を目指す秀忠さん。

しかしその途中、戦では百戦錬磨で知られる真田家に行く手を阻まれてしまうのです。

さらに天候にも恵まれず、関ケ原の本戦が終わった後に到着してしまうという失態を犯してしまったのです。

怒った家康さんは3日間も会ってはくれませんでした。

「長男が生きていたら、こんな思いはしなかった!」と言われちゃいます。これは結構心にグサッときますね。

26歳頃、家康さんは、徳川幕府2代目を秀忠さんに譲ります。

このことにより、これからの世は徳川の天下になると知らしめることになりました。

これには豊臣家が怒っちゃうんですね。豊臣家の人たちはまだ豊臣の天下と信じていたからです。

徳川と豊臣はこの辺りからバチバチです。そして、10年後にそれが弾け「大阪の陣」が起こるのです。

35歳頃「大阪の陣」が勃発

今回も秀忠さんはやらかしてしまうんです。

駿府城(静岡県)から大阪を目指す家康さん、総大将であった秀忠さんは江戸(東京)から大阪を目指します。

関ヶ原の戦いの二の舞は踏めないと、めちゃめちゃ急いで大阪を目指します。そうしたら逆にあっという間に着いてしまうのです。

今度は兵たちが疲労困憊で戦える状態ではなかったんですね。

またまた家康さんは激怒なんです。秀忠さんがちょっと可哀そうになってきますね。

長男は破天荒ですがとても武功に優れていて、次男はその人物を秀吉さんに褒められるほどの方でした。

秀忠さんは気苦労が絶えなかったでしょうね。比べられちゃいますよね。

しかし、37歳頃、父・家康さんが亡くなりました

この時から、枷が外れたように秀忠さんはリーダーシップを発揮していくのです

秀忠さんは出来る子だったんです。

 家康が亡くなった後の秀忠はすごい!


秀忠さんは、父・家康さんのプレッシャーと優れた2人の兄の存在に閉ざしていた気持ちをついに爆発させてきました。

武家諸法度(ぶけしょはっと、武家に対する法令。よくテストに出ていた気がします。

公家諸法度(くげしょはっと、天皇や公家との付き合い方の法令。これは家康さんと一緒に作りました。

幕府の中枢を自分の側近たちで固めるようになり、弟3人を水戸(茨城県)などに配置。俗に言う「徳川御三家」です。

これは、もしこの先の将軍たちに跡継ぎが生まれなかったときに、御三家から将軍を輩出するときのため。これで家康さんの血筋は絶たれないという事です。よく考えました。

外国船寄港を長崎などに限定するという、長崎の出島の「鎖国」の走りのようなこともしています。

娘を天皇に嫁がせ、天皇一族の仲間入りなんてこともしています。

徳川幕府の土台を固めたのは秀忠さんなんです。イメージががらりと変わりましたね。

秀忠の性格は?

13歳の時、勉学中の教室に牛が乱入してきました。

しかし、秀忠くんは慌てずに講義を受け続けていたのです。冷静っていうか、ぼーっとしている感じなのかな。

弟と能を鑑賞しているときに地震が起きます。

周りがパニックになっても、秀忠さんは落ち着いて「揺れは激しいが壁が崩れることはない。そのまま動かない方がいい!」と、冷静な対応をしています。

妻が恐妻家ということもあり、側室を1人も持たなかった。

しかし、1度だけ浮気をしたことがあり、子供も出来ましたが、妻が怖くて1度も会わずに養子に出しています。怖がっちゃってるのが分かるエピソードです。

武勇の評価はあまりない秀忠さんなのですが、近年の遺骨調査で銃創の痕跡がいくつも見つかっているのです

実は前線で指揮を取るような勇気があるお方だったということです。

後ろの方に引っ込んでいるお方だと思っていましたが、イメージがここでも変わってしまいますね。

まとめ

影が薄いような感じがする秀忠さんでしたが、いかがでしたでしょう。

父と兄の重圧に空回りしてしまう秀忠さんですが、実際は結構なしっかり者。温厚なお方だったゆえ、周りからいろいろ言われてしまう役回りだったのでしょう。

家康さんも「作る事よりも、守ることの方が難しい!」という考えで、秀忠さんのようなお方が2代目には合っていると実は思っていたようですよ。

厳しさの裏に愛情が含まれていたんですね。

それに答えることが出来た秀忠さんの人生だったのです。

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