人世空しく【応仁の乱】11年間も空しく続く!戦国時代の引き金!?

「人世空しく応仁の乱」は超有名!

しかし、名前が先行してしまって、応仁の乱ってどんな乱?ってなりませんか?

そうなんです。名前の割に内容が付いてきませんよね。知名度だけガンガン先に進んでしまってます。内容置いてけぼり食らっちゃてます。

ということで、今回は「応仁の乱」の内容について紹介していきましょう。

※歴史上のことなので諸説あります。

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天下分け目、関ヶ原の戦いよりも大規模だった!?

天下を二分する戦いと言えば誰もが「関ケ原の戦い」と答えますよね。

しかし、その天下分け目の戦いよりも「応仁の乱」の方が規模が大きいのです。

関ヶ原の戦いは1日で終わったのは有名です。正確には6時間程ですが。

応仁の乱は11年なんです。京都の町は壊滅状態です。まさしく「人世空しく」…。
ただの語呂合わせだと思っていましたが、結構合っています。

この11年で室町幕府はどんどん衰退していき、各地の大名が力を持ち始めます。

応仁の乱が引き金で「戦国時代」が始まったともされています。

織田信長(おだのぶなが武田信玄(たけだしんげん上杉謙信(うえすぎけんしん徳川家康(とくがわいえやすなど超有名人が暴れ狂う時代に突入ですね。

なぜ応仁の乱は起こったの?

簡潔に言えば「将軍家の家督争い」なんです。

足利幕府8代将軍・足利義政(あしかがよしまささん。銀閣寺を建てたお方ですね。

しかしこのお方、政治そっちのけで茶などの趣味の方に逃げてしまうようなお方。

けれどかわいそうなお方でもあるのです。
妻が鬼嫁、側近たちも将軍をほったらかしで勝手に政治をやってしまうような方々ばかり。

本当は、義政さんもやる気はあったんです。しかしもう嫌になってしまったんでしょうね。将軍だからといって幸せではないのですね。

そしてついに義政さんは29歳のときに、将軍を辞めて隠居したくてしょうがなくなりました。

けれど義政さんには跡継ぎがいなかったので、そこで義政さん考えます。

「仏門に入っていた実の弟を呼び戻そう」と。

弟さん「いやいや兄貴!まだまだ若いんだから、跡継ぎは生まれるよ!」

隠居したい義政「いやーもう無理だって。もしこの先跡継ぎが生まれても、将軍はずっとお前だから頼むよ!」

これにより渋々、弟さんは将軍へ立候補!

しかしここで、最悪の事態が起こります。

翌年には跡継ぎが生まれてしまったんですね。
鬼嫁はもちろん実の子を跡継ぎにしたいですよね。

他にも、幕府・最高職の畠山氏にも全く同じような家督争いが起きてます。

家督争いの問題は結構、日常茶飯事なんです。みんなオンリーワンではなくナンバーワンになりたいんです。

そうして、足利幕府の有力大名、細川勝元(ほそかわかつもと山名宗全(やまなそうぜんを大将に、日本は「東軍vs西軍」に別れて11年もの間、争うことになるのです。

応仁の乱が「お家騒動」と言われる由縁ですね。迷惑な話です。

11年間何が行われていたの?

1467年5月に応仁の乱が開戦!

将軍・義政は早い段階から「仲直りしろー!」と言っていますが誰も聞きません。

日本各地から兵が集まって来ていて、京都が炎上しだします。

京都の町のどこかしこで戦いが起こり、敵が逃げ込んだ先に火を放つなど、もう地獄絵図状態なんです。

しまいには義政さん、次期将軍に押していた弟を再度出家させてしまってます、そして今度は、敵方の西軍がその弟を「新将軍にする!」と迎え入れちゃってます。もう敵味方がごちゃごちゃの状態なんです。

京都で争っていた各大名の自国でも戦いが起こるようになり、もう日本全国が戦場に代わります。

6年後に、疫病が流行り、山名宗全と細川勝元も相次いで病死してしまいます。

あまりにも2人の死が近い死であったため、山名氏が勝元さんを暗殺したのでは?とも言われています。

その時、民が苦しんでいるにも関わらず、将軍・義政は酒宴に溺れ、鬼嫁も東軍西軍に金銭を貸し入れるなど私腹を肥やしていました。この夫婦は本当に!!

その後、宗全と勝元の子たちが仲直りし東軍となるのですが、まだまだ「東軍vs西軍」は終わりません。小競り合いが延々続きます。止め時を見失っただけじゃないでしょうか。

10年が過ぎた頃から、和睦の動きが起こり、西軍の大名たちは帰国し事実上解体となります。

数十万の兵士たちが京で争ったにも関わらず、主だった将軍も戦死せず、戦後に罪に問われる者もいなかったのです。
関ケ原の戦いでは、敗者は領土没収や死罪、流刑などに処されているのですが。

そして、当時の人たちもなぜに起こったのか?なぜに戦っているのか?という疑問が残る「応仁の乱」が11年で幕を閉じたのです

まとめ

応仁の乱後、財政再建で立ち直すも、義政さんは民の救済に尽力を注ぐのではなく、銀閣寺などの東山文化や趣味などに経費を費やしちゃってます。

【足利義政】金閣寺の時代に憧れた将軍、そして建てられた銀閣寺

もしかして、義政さんが将軍にならなければ、応仁の乱が起こらなかったのはもちろんのこと、戦国時代も来なかったのでは?

もちろん織田信長さんは生まれますので、足利幕府が倒される未来は変わらない気がしますが、すんなり天下人・織田信長が誕生していた気がしますね。

かなり日本の歴史が変わっていたかもしれないです

そのくらい応仁の乱は無意味な争いだったんです。

重要な歴史的資料も火災で数多くなくなっているんですよ。義政さん!!

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