【井伊家】誕生と衰退とおんな城主と大名筆頭!現代まで続く家系!

井伊家と聞くと、「安政の大獄」や「桜田門外の変」で有名な井伊直弼(いいなおすけさん」の名前が浮かびますよね。

大老(たいろうという役職に就いた由緒正しき家柄というイメージ。

しかし、2017年大河「おんな城主直虎(なおとらは、戦国時代の井伊家のお話。
井伊家存続のために紛争するお話となっています。

江戸時代最後、幕末の頃の井伊直弼さんの時代とはかなり立場が違っていますよね。

ということで今回は、「井伊家」の歴史について紹介していきたいと思います。

いつ頃から、幕府に欠かせない家柄になっていったのでしょう。

※歴史上のことなので諸説あります。

スポンサーリンク
レクタングル大

井伊家初代当主は捨て子?

時は平安時代1010年の正月、遠江国(とおとうみのくに井伊谷(いいのや(静岡県)にある八幡宮の神主が、井戸の傍で捨て子を見つけます。
その子は、容姿端麗で眼光が明るく聡明であったと言われております。

7歳の頃には神童とまで呼ばれ、その噂を聞きつけた遠江国の国司(こくしであった藤原共資(ふじわらのともすけの養子となり、名前を「藤原共保(ともやすとします。

そして、共保さんは共資さんの娘と結婚し、1032年に家督を継ぎ、自身が捨てられていた井伊谷に「井伊谷城」を建て、「井伊氏」を名乗り始めたと言われています。井伊家誕生の瞬間ですね。

捨て子といい、大団円といい、間に悪者退治なんかをしていれば、まるでおとぎ話のようです。

井伊氏には、平安時代でも特に有名な「藤原氏」の流れもあるのですね。

南北朝時代の井伊家

1333年後醍醐(ごだいご天皇足利尊氏(あしかがたかうじは鎌倉幕府を滅亡させますが、その後2人は仲違をしてしまいます。

足利尊氏は新天皇を即位させ「北朝」を、後醍醐天皇も吉野(奈良県)で自ら「南朝」を開き、南北朝時代が始まったのです。

その頃の井伊家は、南朝側についていました。

しかし、井伊家の居城であった「井伊谷城」が北朝側に攻められ落城。

最終的に北朝側が勝利したため、北朝方の今川氏が遠江国の守護職を得ると、井伊家はその支配下に置かれるようになります。

負けた側の家は本当に肩身の狭い思いすることになるのです。

直虎の時代、戦国の世。

直虎の曾祖父である井伊直平(なおひらの時代、遠江国の守護職は斯波(しば氏でした。そこに今川氏が侵攻してきます。井伊家は斯波氏側として戦います

しかし、またまた今川氏に敗れると、直平は降伏し今川氏の家臣となりました。

直虎の兄弟には男子がいなかったため、大叔父にあたる井伊直満(なおみつの息子・直親(なおちかに家督を譲ることになります。(大河での直親は「三浦春馬」さんですね)

しかし、それを良しとしない井伊家の家臣の「直満は主君である今川義元(いまがわよしもと謀反(むほんを企てている」という讒言(ざんげんで殺されてしまうのです。

息子の直親は生き延びるのですが、桶狭間(おけはざまの戦いで今川義元は織田信長(おだのぶながに敗れ、今川家の衰退を悟った直親は、松平元康(まつだいらもとやす(のちの徳川家康(とくがわいえやす)との縁を作ろうとするのですが、失敗に終わり今川氏に殺されてしまうのです

戦国時代の今川氏からの呪縛から逃れるために、おんな城主として直虎が紛争していくのですね。

直親の忘れ形見である井伊直政(いいなおまさを育てながら。

【井伊直平】おんな城主直虎の曾祖父!今川氏の支配から子や孫に先立たれる!

【親子2代の裏切り】井伊家存続の危機を招いたのは小野妹子の子孫?

【徳川家康】のホトトギスが鳴くまでの長い道のり!

徳川家康の家臣として

直虎さんに育てられた直政は、「徳川四天王の一人」と呼ばれるようになるまでに成長を遂げます。

もちろんのこと、1600年、関ヶ原の戦いで東軍として勝ち組となります。

井伊家に春がやってきたのです。

しかし、井伊直政は関ヶ原の戦いでの鉄砲傷が原因で2年後の1602年に亡くなりました。

最後まで江戸幕府の基礎固めに尽力したと言われています。

【彦根城】明治時代や第二次世界大戦の危機を乗り越えた井伊家の城!

江戸時代での井伊家

彦根城が築城され、彦根藩(滋賀県)が置かれ、直政さんの嫡男・直勝(なおかつが家督を継ぎます。

しかし、直勝さんは病弱とされており、1615年の豊臣家との戦いである「大坂の陣」に参陣出来ず、安中(あんなか藩(群馬県)へと変えられてしまいました。

彦根藩第2藩主の履歴も抹消されてしまったのです。

代わりに、大坂の陣に参陣した弟の井伊直考(なおたかが活躍し、彦根藩の藩主となりました。

⇒【真田幸村】人質、敗戦、幽閉!?遅咲きの悲運の戦国ヒーロー!

井伊直弼

彦根藩井伊家から、5人6度もの「大老職」を出すなど大名筆頭の家柄になっていきます。

しかし、幕末期の大老職に就いた井伊直弼さんは「将軍後継問題」や「日米修好通商条約」で数々の反感を買うようになります。

それに対して行った「安政の大獄」がさらに火に油を注いでしまい、「桜田門外の変」で暗殺されてしまうのです。

直弼さんに幕末の混乱の責任を押し付ける形で彦根藩は10万石を没収されてしまいます。

これに対し、旧幕府軍VS新政府軍の戦いでは、彦根藩は大名筆頭にもかかわらず新政府側となり勝利を勝ち取るのです

結果的に直弼さんが井伊家を守ったということになりましたね。

⇒【桜田門外の変】実行者、被害者も悲劇の死を遂げた悲しい事件

明治以降の井伊家

明治時代には、伯爵という貴族階級の一員となり、現在もなお血筋は続いております。

江戸時代初期に分かれた、井伊直勝さんの家系も現在も続いているのです。

まとめ

井伊直弼さんのこともあり、井伊家はずっと名家なんだろうなという勝手な思い込みを持っていましたね。

しかし、人の一生でも家系でも山あり谷あり。

南北朝時代の敗戦から、今川氏に支配され「谷」の時代を生きて来たのです。

直虎と直政、そしてたくさんの井伊家の人たちの想いを感じながら「おんな城主直虎」を楽しみましょう!

この記事がおもしろかったら
いいね ! お願いします

スポンサーリンク
レクタングル大
レクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする